その他の東アジアの皇帝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)
「ハーン」も参照 朝鮮の高麗朝の草創期やベトナムの阮朝のように、中国王朝と冊封関係にあり、中国王朝に対しては王を称しながら、国内に向けては密かに皇帝を称することもあった。五胡十六国時代など中国の統一王朝が存在しないかまたは弱体である時期には、契丹などの異民族国家において独自に皇帝を称することもあった。中国北部のモンゴル帝国(大元ウルス)ではクビライ以降「カアン(ハーン)」の称号が皇帝の称号とされた。クビライや帝国の開祖チンギス・カンは、漢文の諡号でも皇帝と称されている。カアンの地位はチンギス・カンの子孫によって継承され、1635年にエジェイが後金(清)に降伏するまで続いた。 近代に冊封体制が崩壊すると、君主制をとっていたアジア諸国でも皇帝を称する動きがあった。日本と清との間で下関条約が締結された後の1897年、朝鮮国(李氏朝鮮)が、清の冊封体制から離脱したことを明らかにするために、王を皇帝に改め、国号を大韓帝国(1897年 - 1910年)とした。日本が中国東北部に建設した満州国においては、旧清帝国の皇帝であった溥儀が皇帝となった。また天津条約によってフランス領インドシナの支配を受けるようになった阮朝は、第二次世界大戦末期にベトナム帝国を宣言し、バオ・ダイが皇帝を称した。
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