エンケ_(北元)とは? わかりやすく解説

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エンケ (北元)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/09 07:16 UTC 版)

エンケ
ᠡᠩᠬᠡ
モンゴル帝国第19代皇帝(ハーン
在位 1391年 - 1394年

死去 1394年
家名 ボルジギン氏アリクブケ家
父親 イェスデル
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エンケモンゴル語:Энх、 ᠡᠩᠬᠡ、? - 1394年)は、モンゴル帝国の第19代皇帝(ハーン)(在位:1391年 - 1394年)。イェスデルの長男[1]

生涯

1391年、父のイェスデル(ジョリグト・ハーン)が亡くなり、子のエンケが後を継ぎ、ハーンとなった[1]

1394年、エンケ・ハーンが亡くなり、エルベクが後を継ぎハーンとなった[1]

『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーン

蒙古源流』には天元帝トクズ・テムル・ウスハル・ハーン戊辰の年(1388年)に亡くなった後、「その息子たち」としてエンケ・ジョリグト・ハーンエルベク・ニグレスクイ・ハーン、ハルグチュク・ドゥーレン・テムル・ホンタイジの名が挙げられ、エンケ・ジョリグト・ハーンは己亥の年(1359年)に生まれ、己巳の年(1389年)に帝位につき、壬申の年(1392年)に亡くなったとし、イェスデルの名が出てこない[2]。一方、『アルタン・トブチ』ではジョリグト・ハーンとエンケ・ハーンの2人が登場し、ウスハル・ハーン(天元帝トグス・テムル)が1388年に亡くなった後、ジョリグト・ハーンが1388年から1391年まで、エンケ・ハーンが1391年から1394年まで帝位にあり、その後エルベク・ハーンが帝位についたとある[2]。一般的にこのジョリグト・ハーンをイェスデルとし、ニザーム・アル・ディーン・シャーミー『ザファル・ナーマ』で立証されたように、エンケ・ハーンはイェスデルの子とされる[2]

系図

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c 岡田 2004, p. 177.
  2. ^ a b c 岡田 2004, p. 178.

参考資料




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