カマラ_(元朝)とは? わかりやすく解説

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カマラ (元朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/09 23:59 UTC 版)

カマラ(Kammala、中統4年(1263年) - 大徳6年1月10日1302年2月8日))は、の皇族。漢字表記は甘麻剌、『集史』などのペルシア語表記では كملا (Kamalā)。名はカンマラとも読む。イェスン・テムルによって諡号は光聖仁孝皇帝、廟号は顕宗とされた。

生涯

世祖クビライの皇太子チンキムコンギラト部族出身のココジンとの間にもうけた3人の嫡子のうちの長男で、弟にダルマバラテムルがいる。クビライの嫡長孫であるカマラは、幼い頃から祖母であるクビライの皇后チャブイによって育てられ、長ずると祖父クビライに侍したが、弁舌が苦手で無口であり、あまり聡明に見える性質ではなかった。

成人すると祖父のクビライにより、オゴデイ家カイドゥに西部の諸王が与して戦乱の激しくなっていたモンゴル高原での駐留を命ぜられたが、至元26年(1289年)にカイドゥに手痛い敗戦を喫した。同年、大元ウルスに仕えるキプチャク人軍団の指揮官のトトガクは、晋王カマラの配下に入ってハンガイ山脈方面でカイドゥの軍勢と戦うことになった。カイドゥ軍は先に戦場に辿り着いて有利な陣地を占拠しており、カマラ軍は苦戦を強いられたものの、トトガク率いるキプチャク軍のみが奮戦して敵陣を崩し、カマラを守って退却することに成功した。退却中もカイドゥ軍の騎兵が追撃してきたが、トトガクは伏兵を置くことで追っ手を撃退し、カマラ軍は危地を脱することができた[1]

至元27年(1290年)、梁王に封ぜられ、雲南への出鎮を命ぜられたが、至元28年(1291年)に晋王に改封され、高原に移鎮した。晋王の封は数年前に北平王ノムガンが死んで以来、無主となっていたチンギス・カンの四大オルドと、その配下にある高原の遊牧軍団を領する重職であり、その相続はチンギス・カンの遺産を受け継ぐとともに、モンゴル人の本土である北方におけるカアンの副王に就任したことを意味する。

至元31年(1294年)、クビライが死ぬと、上都で開かれたクリルタイで、先に祖父から皇太子の印綬を与えられていた弟のテムルとどちらが後継者にふさわしいか議論された。しかし、このクリルタイでは中央政府の軍権を握る知枢密院事バヤンがテムルの支持を表明し、他の将軍たちや兄弟の母のココジンもこれに賛成したので、カマラはテムルにカアン位を譲った。ラシードゥッディーンの『集史』によれば、摂政としてクリルタイを主催したココジンは、「誰であれ(モンゴルにとって重要な掟である)チンギス・カンの訓言を最もよく知っている者がカアンに即位すべきである」というクビライの遺言を持ち出して兄弟に訓言を知っているかを問うと、テムルは聡明で弁舌と記憶力にすぐれていたので多くの訓言を雄弁に答えたが、弁舌の苦手なカマラは口篭もって上手に答えることが出来なかった。そこで将軍たちは一致してテムルがカアンにふさわしいと認め、テムルがカアンに即位したという。

大徳4年(1300年)、カイドゥが中央アジアの諸王の全軍を率いて最後の大攻勢をかけてくると、カマラの高原駐留軍は打ち破られて苦境に陥った。しかし、テムルによって派遣されてきたダルマバラの遺児のカイシャン率いるカアン直轄のキプチャク親衛軍や安西王アナンダの中国西部駐留軍団の増援を受けて、元軍は翌年にはカイドゥの軍を撃退し、カイドゥを戦傷によって死去させた。カマラはこの戦争からまもなく、大徳6年(1302年)初頭に亡くなった。

一連の戦争における不手際、晋王カマラの急死、年若いイェスン・テムルの即位と前後して、晋王家の所領は大幅に削減されてしまい、至治3年(1323年)にイェスン・テムルがカアンに即位するまで目立った活躍はなかった。イェスン・テムルは即位すると亡父のカマラを顕宗光聖仁孝皇帝とし、皇帝に準ずる祭祀を行った。しかし、致和元年(1328年)にイェスン・テムルの子のアリギバが倒されてトク・テムルが即位すると、晋王家のカアンたちは傍系の簒奪者とみなされ、皇帝の祭祀から外されてしまった。

宗室

后妃

男子

女子

脚注

  1. ^ 『国朝文類』巻26句容郡王世績碑,「二十五年、也只里王為叛王火魯哈孫所攻甚急。五月、王従成宗移師援之、敗諸兀魯灰。還至哈剌温山、夜渡貴列河、敗叛王哈丹之軍、尽得遼左諸部、置東路万戸府以鎮之。也只里有女弟塔倫、遂以妻王。二十六年、海都軍叛金山、抵杭海嶺、皇孫晋王帥兵禦之。敵先拠険、我師不利、王独以其軍陥陣入戦、翼晋王出。明日、追騎大至、伏兵殿之」



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