シムルトゥ・ノールの戦いとは? わかりやすく解説

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シムルトゥ・ノールの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/10 05:11 UTC 版)

シムルトゥ・ノールの戦い(シムルトゥ・ノールのたたかい)は、モンゴル帝国帝位継承戦争の中で1261年クビライ軍とアリクブケ軍との間で行われた戦闘。戦場は漢文史料では昔木土脳児(xīmùtŭnǎoér)あるいは石木温都(shímùwēndōu)、ペルシア語史料ではشيمولتای(shīmūltāī)と記される。


  1. ^ 『元史』巻4世祖本紀1,「[中統二年]十一月壬戌、大兵与阿里不哥遇於昔木土脳児之地、諸王合丹等斬其将合丹火児赤及其兵三千人、塔察児与合必赤等復分兵奮撃、大破之、追北五十餘里」
  2. ^ 『元史』巻155列伝42史天沢伝,「中統元年……秋九月、扈従世祖親征阿里不哥、次昔木土之地、詔丞相線真将右軍、天沢将左軍、合勢蹙之、阿里不哥敗走」
  3. ^ 『元史』巻120列伝7史天沢伝,「世祖之征阿里不哥也、怯台子哈答与忽都忽跪而自献於前曰『臣父祖幸在先朝、当軍旅征伐之寄、屡立戦功。今王師北征、臣等幸少壮、願如父祖以力戦自効』。既得請、於是戦於石木温都之地。諸王哈丹・駙馬臘真与兀魯・忙兀居右、諸王塔察児及太丑台居左、合必赤将中軍。兵始交、獲其将合丹斬之、外剌之軍遂敗衄。又戦於失烈延塔兀之地、当帝前混戦、至日晡勝之」


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