元曲
元曲
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元曲『西遊記雜劇(楊景賢)第三本』では、孫行者は「小聖弟兄 姊妹五人 大姊驪山老母 二妹巫枝祗聖母 大兄齊天大聖 小聖通天大聖 三弟耍耍三郎」と自分は5人の兄弟姉妹 姉 驪山老母、妹の巫枝祗聖母、兄の齊天大聖、自分は通天大聖で、弟の要要三郎がいるという。
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元曲(水滸戯)
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元曲とは元代に隆盛した雑劇・散曲を総称したもので、元雑劇とも言われる。それらの中に梁山泊や宋江にまつわるエピソードを扱った雑劇があり、これらは「水滸戯」と総称される。具体的な曲名としては『梁山泊李逵負荊』『都孔目風雨(大婦小妻)還牢末』『同楽院燕青博魚』『黒旋風双献功』『争報恩三虎下山』などがあり、『水滸伝』の物語が形成されるまでの過程に影響を与えた可能性が高い。特に『梁山泊李逵負荊』の筋は、現行『水滸伝』の第73回に出てくる話のプロットとなっている。内容が不明で題名だけが残る作品の中でも『病楊雄』『折担児武松打虎』『窄袖児武松』『双献頭武松大報仇』『全火児張弘』などは、『水滸伝』の楊雄・武松・張横らとの関連性がうかがえる。 水滸戯にはパターンがあり、まず宋江が登場して自己紹介や落草した(盗賊に身を落とした)理由である閻婆借殺しを述べ、その後部下の紹介に続く(なお、仲間は36人の大幹部と72人の小幹部とされ、従来の36人から108人に増加していることが注目される)。とある理由で部下の何人かの頭領を下山させると告げる。下山する頭領たちの名は『水滸伝』とほぼ同じであるが、性格はかなり異なり、主に活躍するのは、李逵・燕青・魯智深などの面々である。頭領たちは様々な事件を起こした後、梁山泊へ戻るという筋書きとなっている。大きな特徴として、事件の前後で梁山泊の構成員に変化がないという静的な構造となっている。現行『水滸伝』はむしろ梁山泊集団の形成過程(第II部分)を中心に据えているため、集団そのものは動的であるから、物語の構造が大いに異なっている。一方で、宋江らの拠点は完全に梁山泊で定着しており、しかも周囲八百里という『水滸伝』と同様の描写が見られる。 元に代わって明が成立した後も水滸戯は制作され、明初の皇族・文人で自らも雑劇を作ったことで知られる朱有燉(周憲王。洪武帝の孫。1379年 - 1439年)が、『豹子和尚自還俗』『黒旋風仗義疎財』などの水滸戯を残している。『豹子和尚自還俗』は魯智深を主人公とした水滸戯であり、魯智深をのぞく35人の頭領の席次が述べられている意味で貴重な史料である(36人の内訳と席次は上掲の表を参照)。題名の「豹子和尚」は魯智深を指すが、現在の『水滸伝』では魯智深のあだ名は「花和尚」であり、「豹子」のあだ名を持つ者は「宋江三十六人賛」の段階では未登場だった林冲(豹子頭)である。『水滸伝』での魯智深と林冲の活躍する箇所は隣接しており、小説の成立過程で林冲が魯智深の「豹子」という属性を分けられて分割したキャラクターであった可能性も考えられる。 なお、水滸戯の中には小説としての『水滸伝』が完成された後に作られたものもあり、『魯智深喜賞黄花峪』『梁山五虎大劫牢』『梁山七虎鬧銅台』『王矮虎大鬧東平府』『宋公明排九宮八卦陣』などが残っている。これらも静的な物語構造であることには変わりない。
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