元服と家督相続とは? わかりやすく解説

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元服と家督相続

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 08:58 UTC 版)

足利頼氏」の記事における「元服と家督相続」の解説

足利泰氏三男として生まれるが、母が北条得宗家出身であることから嫡子指名され、父・泰氏の跡を継いで足利氏当主となり上総三河の二ヶ国を領した『吾妻鏡』における初見建長4年1252年11月11日条の「足利大郎家氏 同三郎利氏」の箇所である。家氏はこれまで『吾妻鏡』寛元3年1245年8月15日条~建長3年1251年8月15日条までの7年間、11箇所亘って足利三郎家氏」と記されてきたが、前述記載では家氏の通称が「大郎」(=太郎)で、「三郎」を名乗る人物が利氏(頼氏)に変わっている。これは、「三郎」が兄弟順序を表す通称ではなく足利氏嫡流家督継承者が称する称号であり、母の出自違い(家氏の母は名越朝時の娘)に伴って建長3年1251年)から同4年1252年)の間で「三郎」を称する足利氏嫡子が家氏から利氏(頼氏)へ変化したことを表すものである考えられている。その時期は、『吾妻鏡』で家氏の表記が、建長3年8月15日条で「足利三郎家氏」であったものが、翌建長4年4月1日条では「足利大郎家氏」と変化していることから、この間絞り込められる『吾妻鏡』によればこの期間内建長3年12月2日に父の泰氏が出家しており、これを受けて利氏(頼氏)が家督継承した考えられ、また「三郎」という通称名名乗るのは元服の際に行われるため、利氏(頼氏)の元服建長3年8月15日から12月2日の間に行われたとみて良いであろう後述するが、生誕年は仁治元年1240年であったとみられ、その場建長3年当時数え年12歳となり、元服年齢として妥当なものである

※この「元服と家督相続」の解説は、「足利頼氏」の解説の一部です。
「元服と家督相続」を含む「足利頼氏」の記事については、「足利頼氏」の概要を参照ください。

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