厚田村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/25 06:56 UTC 版)
| あつたむら 厚田村  | 
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| 廃止日 | 2005年10月1日 | ||
| 廃止理由 |  編入合併 厚田村、浜益村 → 石狩市  | 
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| 現在の自治体 | 石狩市 | ||
| 廃止時点のデータ | |||
| 国 |   | 
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| 地方 | 北海道地方 | ||
| 都道府県 | 北海道 石狩支庁 | ||
| 郡 | 厚田郡 | ||
| 市町村コード | 01305-6 | ||
| 面積 | 292.84 km2 | ||
| 総人口 |  2,779人 (住民基本台帳人口、2005年9月末日)  | 
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| 隣接自治体 |  石狩市、浜益郡浜益村、 石狩郡当別町  | 
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| 村の木 | トドマツ | ||
| 村の花 | シバザクラ | ||
| 厚田村役場 | |||
| 所在地 |  〒061-3692 北海道厚田郡厚田村大字厚田村18  | 
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| 座標 | 北緯43度24分00秒 東経141度26分03秒 / 北緯43.4001度 東経141.4342度座標: 北緯43度24分00秒 東経141度26分03秒 / 北緯43.4001度 東経141.4342度 | ||
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| ウィキプロジェクト | |||
厚田村(あつたむら)は、北海道石狩支庁北部にあった、厚田郡に所属していた村。
村名の由来は、アイヌ語の at-ta アッタ(オヒョウニレの樹皮・採る)に因む[1]。オヒョウニレの樹皮はアイヌの民族衣装・アットゥシの素材として重要であった。厚田川の支流に、上流に沼があって水質の変化した at-woro-us-nayアッウォルシナイ(オヒョウニレの樹皮・水漬けする・いつもする・川 (河谷))があったと伝承がある。アイヌはオヒョウニレ樹皮の内側のやわらかい部分を水に漬けて解し、取りだした繊維を糸に紡いで布を織った。
2005年10月1日、浜益村と共に石狩市へ編入され、厚田村区域は、石狩市の地域自治区「厚田区」となった。
地理
石狩支庁北部に位置、西部の日本海、東部の山地にはさまれた険しい地形。
隣接していた自治体
沿革
   厚田村は、日本海沿岸に位置するため北海道では開拓が早く、1600年代からニシンなどの漁場として開かれ、江戸時代には松前藩によってアツタ場所が開かれていた。
- 1848年(嘉永元年) 厚田神社が創建される。
 - 1869年 北海道11国86郡が置かれた際、石狩国厚田郡が置かれた。
 - 1902年4月1日 厚田郡厚田村、別狩村(べつかり)、小谷村(こたに)、押琴村(おしこと)、古潭村(こたん)、安瀬村(やそすけ)、濃昼村(ごきびる)が合併、二級町村制施行、厚田郡厚田村。
 - 1907年4月1日 厚田郡望来村(もうらい)と新設合併し、一級町村制施行。
 - 2005年 石狩市に編入合併。厚田郡消滅。
 
姉妹都市・提携都市
経済
基幹産業は水産業、農業(稲作)。
教育
中学校
- 厚田、聚富
 
小学校
- 厚田、望来、聚富
 
交通
   道路
バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 暑寒別天売焼尻国定公園
 - 厚田公園
 - ルーラン海岸 
    
- 義経の涙岩
 
 - 戸田記念墓地公園
 
出身の有名人
脚注
- ^ 本田貢『北海道地名分類字典』北海道新聞社、1999年10月19日、14頁。ISBN 4-89453-046-5。
 
参考文献
- Riichi Miyake, Takeo Ozawa, Satoru Kaku 『Atsuta - Re-vision of Hokkaido』 Flick Studio, 2013、ISBN 978-4904894125
 
関連項目
外部リンク
- 北海道厚田村ホームページ - 閉鎖。(2005年3月7日時点のアーカイブ)
 
固有名詞の分類
- 厚田村のページへのリンク