村崎恭子とは? わかりやすく解説

村崎恭子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/16 06:16 UTC 版)

村崎 恭子
人物情報
生誕 1937年????
日本 台北州
出身校 東京外国語大学東京大学
学問
研究分野 言語学(アイヌ語)
研究機関 横浜国立大学
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村崎 恭子(むらさき きょうこ、1937年 - )は、アイヌ語の研究者。横浜国立大学名誉教授。専攻は言語学樺太アイヌ語学。

来歴

村崎は元々は東京外国語大学でモンゴル語を専攻していた。その後に東京大学に学士入学した際、アイヌ語の辞典を編纂するプロジェクトが偶然にも進行中であった。その際に樺太アイヌ語の調査を当時の指導教官に勧められたことが、アイヌ語研究に携わる転機となった。[1]

また、村崎は1963年9月に『民族学研究』27巻4号の誌上で、 1962年6月の時点で北海道での千島アイヌ語の話者が途絶え、事実上死語となったことを報告した。彼女は1962年の夏に北海道で調査を行ったが、結果として千島アイヌ語のインフォーマントは既に存在しなかった[2]

経歴

受賞・栄典

著作

著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。

翻訳・アイヌ語校訂・採録

論文・総説

  • 村崎恭子 (2012) 話者の絶えた樺太アイヌ語 : その終焉と再生の可能性. 社会言語科学 14(2), p.3-16. doi:10.19024/jajls.14.2_3

その他J-STAGEGoogle Scholarを参照のこと。

連載

  • アイヌ語地名で探る日本列島-『聚美』、2011年10月より連載。

脚注

  1. ^ ことば村・ことばのサロンA 「日本のことばとアイヌ語」 話題提供 村崎恭子(元横浜国立大学教授) - 地球ことば村(2024年7月12日閲覧)
  2. ^ 村崎恭子「千島アイヌ語絶滅の報告」『民族學研究』第27巻第4号、日本文化人類学会、1963年、657-661頁、doi:10.14890/minkennewseries.27.4_657ISSN 2424-05082024年7月29日閲覧 
  3. ^ 村崎恭子 - みすず書房(2024年7月12日閲覧)
  4. ^ 最後の話し手-消滅する樺太アイヌ方言 村崎 恭子 氏 (2024年7月12日閲覧)
  5. ^ KAKEN — 研究者をさがす | 村崎 恭子 (10014515) (2024年7月12日閲覧)

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