アイヌ語の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 05:19 UTC 版)
明治時代になってから、アイヌ語は科学的に研究されるようになったが、最初期には外国からのしかも言語学者ではない人々による研究が先行したのが特徴的である。たとえば東洋学者のアウグスト・プフィッツマイアー、ニコライ・ネフスキー、ロシアの医師であったミハイル・ドブロトヴォルスキー(Михаил Михайлович Добротворский)、ポーランドの社会運動家で亡命者であったブロニスワフ・ピウスツキ、イングランド出身の宣教師であったジョン・バチェラーなどがそれにあたる。 日本の言語学者たちがアイヌ語を研究し始めた頃にはアイヌ語の話者は非常に少なかったが、先にあげた外国の研究者とはほとんど交渉を持たず、活発に研究されてきた。春採アイヌ学校の教師・伝道師の永久保秀二郎、金田一京助とその弟子である久保寺逸彦や、アイヌである知里幸恵・知里真志保姉弟らが挙げられる。 その後、田村すず子、萱野茂、浅井亨、村崎恭子、魚井一由、キーステン・レフシン、中川裕、切替英雄、佐藤知己、奥田統己、志賀雪湖、アンナ・ブガエワ、高橋靖以等がそれぞれ研究を進めてきた。
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