アイヌ語研究へ
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第二高等学校を経て1904年(明治37年)9月、東京帝国大学文科大学に入学、上京。新村出や上田万年の講義に魅かれ、言語学科に進学。1年先輩に橋本進吉、小倉進平、伊波普猷がいた。小倉は朝鮮語、伊波は琉球語を研究していたが、アイヌ語は日本人研究者がおらず、イギリス人宣教師のジョン・バチェラーによってアイヌ語辞典が出版されていた。上田から「アイヌ語研究は日本の学者の使命だ」と言われ、東北出身の京助はアイヌ語を研究テーマに選ぶ。1906年(明治39年)初めて北海道に渡り、アイヌ語の採集を行う。旅費70円を出したのは伯父の勝定だった。この調査で京助は研究に自信をつける。1907年(明治40年)サハリンのオチョポッカで樺太アイヌ語の調査をする。アイヌの子供たちを通じて樺太アイヌ語を教わったエピソードはこのときのことであり、のちに随筆『心の小径』で有名になった。旅費は、勝定から100円、上田から100円の計200円もの大金を使ったが、40日の滞在で文法や4000の語彙の採集に成功、その帰り、京助は生活の心配という迷いを断ち切り、アイヌ語の道を進むことを決意する。調査報告を上田に提出した10月、すでに大学の卒業式は終わっていた。 1908年(明治41年)4月、海城中学校に国語教師として就職する。その月末、下宿「赤心館」に石川啄木が転がり込んでくる。京助は啄木に金を貸した上、2人分の家賃30円を払っていたが、8月、持ち合わせがなく、下宿のおかみに支払いを待ってくれるよう頼んだが断られる。腹を立てた京助は荷車二台分の蔵書を売り払い、30円の金を作って家賃を払うと、9月初め啄木と別の下宿「蓋平館」に引っ越す。10月、言語学科出身の京助に教員資格がないことが判明、失職する。恩師の金沢庄三郎の紹介で三省堂に就職、また國學院大学の非常勤講師となる。啄木も翌年3月東京朝日新聞社の校正係に採用され、上京してきた妻子と引っ越していった。 1909年(明治42年)、27歳の京助は20歳の林静江と結婚。紹介したのは啄木で、「文学士で大学講師で、くにではおじさんが盛岡の銀行頭取」と宣伝して縁談を進めた。京助は、結婚するなら、くにの女ではなく標準語の本郷あたりの娘をもらいたいと考えており、本郷出身の静江に心動かされた。12月28日に結婚式をあげ、箱根に新婚旅行、その後盛岡の勝定の家で披露宴を行ったが、東京育ちの静江は盛岡になじめず、田舎嫌いになった。その上、啄木がたびたび金を無心にくるため、静江はやりくりに頭を悩ませたが、京助は頓着しなかった。しかし静江はついに「自分と啄木のどっちが大切か」と音を上げ、京助は啄木と距離を置くようになる。1910年に啄木の長男・真一が生後24日目で死去した際、啄木は京助に葬儀のため喪服を借りたいと葉書を送ったが京助は返書を出さず、会葬も香典の拠出もしなかった。さらに直後に刊行された『一握の砂』では扉の文章で名前を挙げて謝意を示され献呈本も送られたが、まったく反応を示さなかった。1911年(明治44年)7月、すでに病床にあった啄木は酷暑の中、杖をついて京助の自宅を訪問し、これが啄木の「最後の訪問」となった。 1912年(明治45年)1月に、長女・郁子が満1歳を20日後に控えて死去し、これに対して啄木が出した悔やみの葉書が最後の京助宛書簡となる。3月30日、啄木が重態となったことを読売新聞の記事(土岐哀果が執筆)で知った京助は、予定していた花見を取りやめて処女出版作『新言語学』("A History Of Th Language"の翻訳、6月刊行)の稿料の半分10円(実際にはその日に稿料は受け取れず、自宅にあった金から「稿料の半分」として持ち出した)を持ってかけつけ、啄木と妻・節子は涙を流してその好意に感謝した。4月13日早朝、啄木が危篤となり、節子は人力車で京助を呼び寄せたが、まもなく啄木は意識を回復させて会話もしたため、「大丈夫」と安心した京助は國學院に出勤した。しかし、その直後に啄木は死去し、講義を終えて啄木宅に引き返した京助は啄木の遺骸と対面することになった。啄木の葬儀を済ませてまもなく、実家から父危篤の報が入り、京助は帰郷する。 同年、9月26日、父の久米之助が死去。久米之助は事業の失敗で借金がかさみ、本家の養子の金田一国士に借金の肩代わりをしてもらうかわりに家屋敷をとられ、一家は本家の長屋暮らしとなっていた。東京の病院に入院した久米之助を見舞った京助は「おれはおまえに飯粒一つ食わせてもらったことはなかったぞ」と言われ、父の死後は金にならないアイヌ語の研究をやめようかと思ったが、父を犠牲にした研究を生半可にするかと逆に気持ちを奮い立たせたという。9月三省堂が倒産、京助はまたも失職する。
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