ウィルタとは? わかりやすく解説

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ウィルタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 16:37 UTC 版)

ウィルタウィルタ語: уилта、ロシア語: Ороки)は、ロシア連邦サハリン州樺太(サハリン島)東岸を主な居住域とする少数民族で、ツングース系に属する[1][注釈 1]。その生活の舞台は、伝統的には樺太中部の幌内川流域と北部のロモウ川流域であった。アイヌからはオロッコ (Orokko) と呼ばれた[2][3]オロチ族ないしオロチョン族と混同されることもあるが、異なる民族である[4]。本来の言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語である[5]。なお、言語学者を中心にUiltaを「ウイルタ」と書くこともある。


注釈

  1. ^ アムール川(黒竜江)流域および沿海州・樺太に生活するツングース・満洲系の民族は、ウィルタ以外ではナナイオロチウリチウデヘ満洲ネギダールの諸族がいる[1]ニヴフとアイヌはパレオアジア系に属する[1]
  2. ^ 179人(19パーセント)がウクライナ語を母語、710人(74パーセント)がロシア語が母語と答えた[6]。一方、1989年のソビエト連邦の国勢調査では、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国にはウィルタは2人しかいなかった[7]
  3. ^ 1959年と1979年の国勢調査では、ウィルタは独立民族として登録されていなかった[3]
  4. ^ ウィルタは、元来はアムグン川地方にいたエヴェンキ族であるという推測もある[9]
  5. ^ デレンの満洲仮府については、候補地が3か所ほどあり、なかでも現在のノヴォイリノフカロシア語版にあった可能性が高いとする説が提唱されている[15]
  6. ^ 樺太庁の対応の急変は、1925年の北サハリン保障占領の終了にともない、「トナカイ王」と呼ばれたサハ(ヤクート)の資産家ヴィノクーロフが北樺太より亡命したことが影響しているといわれる[11]。なお、「オタス」とはアイヌ語で「砂地」という意味であった[2]
  7. ^ 日本のために戦い、苦労もした彼であったが、彼を温かく迎えた人はなく、戸籍がないことも判明し、当初は就職すらできなかったという[10]
  8. ^ 不許可の理由として、戸籍法の適用を受けていない者には兵役法が適用されないこと、兵役法にもとづかない召集令状は無効であること、無効の召集令状を知らずに受けて従軍し、そのために戦犯者として抑留されたとしても日本政府の関知するところではないことなどの5点が政府見解として示された[10]
  9. ^ フレップ会は、日本で最初のウィルタ刺繍サークルである[10]。なお、「フレップ」とはアイヌ語でコケモモ(カウベリー)という意味で、ウィルタの人びとが好んで食した果実である[10]

出典

  1. ^ a b c 荻原(1989)pp.54-56
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 弦巻宏史・榎澤幸広「ウィルタとは何か? -弦巻宏史先生の講演記録から 彼らの憲法観を考えるために- 第二部」『名古屋学院大学論集 社会科学篇』第48巻、第3号、名古屋学院大学、87-113頁、2012年1月。 NAID 120006009768 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v Ants Viires (1993年8月). “The red book of the Russian Empire. "THE OROCS"”. The Peoples of the Red Book. The Redbook. 2022年8月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 藤岡(1979)pp.452-453
  5. ^ a b c d e f 荻原(1988)p.151
  6. ^ Перепись населения на Украине 2001 года”. 2013年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月19日閲覧。
  7. ^ Всесоюзная перепись населения 1989 года. Национальный состав населения по республикам СССР”. 2011年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月29日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 洞(1980)p.956
  9. ^ a b c d e f g 荻原(1989)p.77
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 榎澤幸広「ウィルタとは何か? -弦巻宏史先生の講演記録から 彼らの憲法観を考えるために- 第一部」『名古屋学院大学論集 社会科学篇』第48巻、第3号、名古屋学院大学、80-87頁、2012年1月。 NAID 120006009768 
  11. ^ a b c d e f g h i j k 天野(2017)pp.26-32
  12. ^ ウィキソース「松前島郷帳
  13. ^ a b c d 高倉(1979)p.708
  14. ^ a b c d 第3章 松田伝十郎と間宮林蔵の樺太踏査”. 稚内市史. 稚内市. 2022年7月15日閲覧。
  15. ^ a b c 髙橋(2008)pp.96-101
  16. ^ a b 天野(2017)pp.34-39
  17. ^ Kolga 2004, p. 270
  18. ^ Shternberg & Grant 1999, p. xi
  19. ^ a b c 笹倉いる美 (2011年9月30日). “第26回特別展 ウィルタとその隣人たち-サハリン・アムール・日本〜つながりのグラデーション”. 北方民族博物館だよりNo.82. 北海道立北方民族博物館. 2022年8月8日閲覧。
  20. ^ a b c 真野森作. “あの人気漫画の舞台「樺太」の戦前、戦中、そして戦後”. 政治プレミア. 毎日新聞. 2022年7月15日閲覧。
  21. ^ a b Nivkhi”. Npolar.no. 2014年12月1日閲覧。
  22. ^ Shternberg & Grant 1999, pp. 184–194
  23. ^ a b c 平山(2018)p.167
  24. ^ 河野(1981)pp.64-68
  25. ^ 津曲敏郎 (2020年3月13日). “「小さな夢」を引き継ぐ 1.ウイルタとして生きる”. 館長の部屋. 北海道立北方民族博物館. 2022年7月15日閲覧。
  26. ^ a b c 大広朔洋 (2018年7月19日). “北方民族の祈りを彫る:ウィルタ族の木偶モチーフ 網走で制作続ける”. 日本経済新聞 文化面「カバーストーリー」. 日本経済新聞社. 2022年8月7日閲覧。
  27. ^ 笹倉いる美 (2016年2月29日). “北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ【コラムリレー第27回】”. 集まれ! 北海道の学芸員. 北海道博物館協会. 2022年8月8日閲覧。
  28. ^ 犬飼(1941)p.17
  29. ^ a b c d e 『ブリタニカ国際大百科事典:小項目事典1』「オロッコ族」(1972)p.716
  30. ^ せたがや文化財団 (2014年10月4日). “7つの海と手しごと《第5の海》 「オホーツク海とウイルタのイルガ」”. 世田谷文化生活情報センター 生活工房. 公益財団法人せたがや文化財団 生活工房. 2022年8月7日閲覧。
  31. ^ 北方民族博物館 (1998年12月31日). “資料紹介「布製人形」”. 北方民族博物館所蔵資料より. 北海道立北方民族博物館. 2022年8月7日閲覧。
  32. ^ a b c 荻原(1989)pp.120-121
  33. ^ 髙橋(2008)pp.73-77
  34. ^ a b c 荻原(1989)p.92





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