佐藤チヨとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 佐藤チヨの意味・解説 

佐藤チヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 07:21 UTC 版)

さとう チヨ
佐藤 チヨ
生誕1910年明治43年)頃
大日本帝国 樺太
死没1985年昭和60年)
北海道釧路市
国籍 日本
民族ウィルタ

佐藤 チヨ(さとう チヨ、生年不詳 - 1985年)は、樺太の先住民族ウィルタ(オロッコ)の語り部。

人物・略歴

1910年明治43年)頃の出生と推定される。樺太生まれ。敷香郡敷香町オタス出身[1]。ウィルタ名はナプカ[2]

第二次世界大戦終結後、北海道釧路市に移り住んだ[3]。言語学者の池上二良東京大学大学院に在籍していた1949年昭和24年)に池上と知り合い、池上にウィルタ語を教えた[3]1984年(昭和59年)、夫が死去した[2]。同胞である網走市ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(北川源太郎)とも交流があった[2][注釈 1]

池上二良との交流は、佐藤チヨが没する1985年(昭和60年)までつづいた[3]。池上は、1986年(昭和61年)に以下のように述べている[3][注釈 2]

佐藤さんはウイルタ語についての正確な知識を与えてくれました。それによってすでに知られていたことをたしかめたばかりでなく、さらにいままであきらかになっていなかったいろいろのことをあきらかにすることができました。また、ウイルタ口承文芸について、記憶されているかぎりの諸篇を口述してもらいました[3]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ダーヒンニェニ・ゲンダーヌは夫を失ったチヨを気遣っていたという[2]
  2. ^ 池上の言葉は『北海道の文化』54号(1986年)に収載されている[3]

出典

  1. ^ 月刊シロロ2月号”. アイヌと自然 デジタル図鑑. アイヌ民族博物館. 2022年7月24日閲覧。
  2. ^ a b c d 津曲敏郎. “「小さな夢」を引き継ぐ 1.ウイルタとして生きる”. 館長の部屋. 北海道立北方民族博物館. 2022年7月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 内田實「池上二良教授を送ることば」『札幌大学女子短期大学部紀要』第17巻、札幌大学女子短期大学部、1991年2月28日、 Ⅱ。

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  佐藤チヨのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐藤チヨ」の関連用語

佐藤チヨのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐藤チヨのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐藤チヨ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS