佐藤ハルヨ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/07 14:42 UTC 版)
さとう はるよ
佐藤 ハルヨ
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生誕 | 1900年(明治33年)[1]2月21日[2] 広島県広島市[3] |
死没 | 1980年(昭和55年)7月26日[1] 名古屋市瑞穂区の自宅[3] |
国籍 | ![]() |
出身校 | 東京女子高等師範学校[4] |
佐藤 ハルヨ(さとう ハルヨ、1900年<明治33年>2月21日[2] - 1980年<昭和55年>7月26日)は、日本の教育者。
人物
広島県広島市に生まれる[3]。東京女子高等師範学校を1923年(大正12年)に卒業[4]。
卒業後、2年間埼玉県立浦和高等女学校で教鞭を執る[4]。のち、佐藤正俊と結婚[1]。正俊は官選としては最後の名古屋市長となり、名古屋に移住。正俊は戦後、公職追放を受ける。
1948年(昭和23年)、名古屋家庭裁判所において調停委員となる[4]。
戦後、教育委員会制度の創設に伴い、公選制となっていた教育委員に当選し、制度変更により任命制に変わる1956年(昭和31年)まで2期の間、名古屋市の教育行政に関与する[4]。
1956年(昭和31年)に開設された中日よろず相談所の相談員として、1979年(昭和54年)2月まで勤め上げた[3]。
長年の功績により、1972年(昭和47年)9月には中日社会功労賞を受賞している[3]。
脚注
参考文献
- 日外アソシエーツ 編『愛知県人物・人材情報リスト 2023』日外アソシエーツ、2022年。
- 『日本女性人名辞典[普及版]』日本図書センター、1998年。ISBN 9784820578819。
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