渡来の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:52 UTC 版)
「日本への自動車の渡来」の記事における「渡来の様子」の解説
1898年(明治31年)にパナール・ルヴァッソールが渡来した時の様子については当時の新聞記事などから判明している。テブネはフランスのブイ機械製造所の技師で、軍需工場を合弁で作ろうと投資を募る目的で来日しており、新聞や工業専門誌の取材を積極的に受けていたためである。 テブネはこの年の「1月」にパナール・ルヴァッソールと共に来日したとされることが多い。「1月」とされているのは同年1月11日付けの『東京朝日新聞』記事で言及があることからの推定(便宜上の仮定)であり、判明しているのは同日よりは前ということのみで、テブネの来日時期は同年初めか前年末と推測されている。トヨタ博物館の鈴木忠道の調査では、同車は1897年11月8日に納車された車両であることが有力視されている。また、この時期にフランス(マルセイユ)発で横浜着の船便は1897年12月31日に横浜港に寄港するフランス蒸気船Laosがあり、同船により運ばれたと推測されている。 2月6日、テブネは東京市の築地と上野間でパナール・ルヴァッソールの試運転を行った。これは同車の宣伝を兼ねた試走で、築地のホテル・メトロポールから上野公園まで走行した。その後もテブネはたびたび東京市内を同車で走行しており、ジョルジュ・ビゴーの風刺画は最初の試走も含めてこれらいずれかの時の様子を描いたものだと考えられている。 3月11日、テブネは帰国を前にパナール・ルヴァッソールを競売にかけた。5,300円までの入札はあったが、最低落札価格の6,000円には届かず、競売不成立となる。同車はテブネと共に日本を離れ、同年7月1日にフランスに帰着した。
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