渡来人による私的崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 17:57 UTC 版)
古代の日本には、古くから多くの渡来人(帰化人)が連綿と渡来してきており、その多くは朝鮮半島の人間であった。彼らは日本への定住にあたり氏族としてグループ化し、氏族内の私的な信仰として仏教をもたらし、信奉する者もいた。彼らの手により公伝以前から、すでに仏像や仏典はもたらされていたようである。522年に来朝したとされる司馬達等(止利仏師の祖父)はその例で、すでに大和国高市郡において本尊を安置し、「大唐の神」を礼拝していたと『扶桑略記』にある。 なお、6世紀の各地の古墳などからは、仏の像らしきものが鋳出されている鏡、あるいは佐波理椀や華瓶などの仏具と思われるような品が発掘されているが、そうした古墳では仏教祭祀をした形跡がないため、それらは貴重な供具として祭祀で用いられただけであって、「仏教」を信仰していたのではないと考えられる。
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