小倉鉄道・浅野昼夜銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 02:00 UTC 版)
「橋本梅太郎」の記事における「小倉鉄道・浅野昼夜銀行」の解説
経営難の小倉鉄道に浅野財閥から百万円を融資して欲しいと、地元の誼で橋本梅太郎に相談があったので、1921年(大正10年)に小倉港埋立の権利を浅野財閥に譲るという条件で融資が決まり、この時から昭和13年まで橋本梅太郎が小倉鉄道の取締役を務めた。1921年(大正10年)に経営破綻寸前の浅野昼夜銀行を安田財閥に引き受けてもらおうと、橋本梅太郎と金子喜代太が60日連続して大磯に安田善次郎を訪ねて、ようやく承諾を得たが、翌日に安田善次郎が暗殺されてしまった。
※この「小倉鉄道・浅野昼夜銀行」の解説は、「橋本梅太郎」の解説の一部です。
「小倉鉄道・浅野昼夜銀行」を含む「橋本梅太郎」の記事については、「橋本梅太郎」の概要を参照ください。
- 小倉鉄道・浅野昼夜銀行のページへのリンク