安田善三郎
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安田 善三郎(やすだ ぜんざぶろう、1870年11月3日(明治3年10月10日) - 1930年(昭和5年)1月9日[1])は、日本の実業家、政治家。実業家伊臣忠一の子で、安田善次郎の婿養子。安田財閥を指導し、様々な企業の重役を務めた。高学歴の人材登用など財閥の近代化を図ったが、善次郎と対立し離縁される。貴族院議員。オノ・ヨーコの祖父。
注釈
出典
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』225頁。
- ^ a b c d 『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』やの部10-11頁。
- ^ a b c 『大日本人物史 昭和5年度版』やの部5頁。
- ^ 京都銀行 - 銀行変遷史データベース(全国銀行協会)
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
- ^ 『官報』第476号、大正3年3月3日。
- ^ 『進化の経営史: 人と組織のフレキシビリティ』橘川武郎, 島田昌和、有斐閣, 2008
- ^ 『囘顧七十年』永瀧久吉著、昭和10
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ 安田善三郎歴史が眠る多磨霊園
- ^ 安田善三郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
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