群馬電力の設立
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「東京電力 (1925-1928)」の記事における「群馬電力の設立」の解説
もう一つの前身会社である群馬電力株式会社は、1919年(大正8年)7月5日に資本金700万円(うち175万円払込)で設立された電力会社である。群馬県を流れる利根川支流吾妻川における水力発電を目的とした。 吾妻川は、途中で白砂川(当時の呼称は「須川」、上流部に草津温泉がある)が流れ込む影響で水質が酸性を帯びており、工事への懸念から県内のほかの河川にて水力発電計画が浮上する中でも計画が立てられず取り残されていた。群馬県出身の実業家田島達策(ミツウロコ初代社長)はこの吾妻川に目をつけ、1906年(明治39年)に吾妻川下流の水利権を取得する。開発にあたっては安田財閥が後援となり、群馬電力の設立に際しては安田善三郎が2万株、善三郎が社長を務める京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)が同じく2万株を持つ筆頭株主となった。社長には安田善三郎、副社長には田島達策、専務には安田系の小倉鎮之助がそれぞれ就任。安田家から社長が出されたのは同家の慣例によるもので、実際の仕事は田島や専務の小倉に任されていたという。本社は東京市内に置かれた。 群馬電力は吾妻川において金井発電所の建設を計画していたが、同発電所の放水を利用する発電所を別個に建設すべく吾妻電気株式会社という電力会社も設立されていた。同社は資本金は500万円で1920年6月1日に設立。安田善三郎が社長、小倉鎮之助が専務となり、田島達策らが取締役に名を連ねた。株式払い込みの都合上別に設立された姉妹会社であり、群馬電力では同年6月21日付で合併契約を締結し、11月5日合併報告総会を終えて合併手続きを遂げた。合併後の資本金は500万円増の1200万円となっている。なお合併報告総会後に経営陣の改選があり、安田善三郎に代わって安田善五郎が社長に就任した。 吾妻電気に続く合併は吾妻軌道株式会社であり、4年後の1924年(大正13年)4月29日付で合併契約を締結、10月27日合併報告総会を終えた。同社は吾妻川に沿う渋川・中之条間の電気軌道事業と中之条地区の電気供給事業を兼営する会社である。従って群馬電力も合併後は電気軌道事業兼営となっている(下記#軌道事業参照)。合併後の資本金は1225万円であった。
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