金井発電所(吾妻川)
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「東京電力 (1925-1928)」の記事における「金井発電所(吾妻川)」の解説
位置:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度31分21.5秒 東経138度59分18.5秒 / 北緯36.522639度 東経138.988472度 / 36.522639; 138.988472 (金井発電所) 東京電力の発電所のうち群馬県に位置したものの一つが金井発電所である。旧群馬電力が群馬郡金島村大字金井(現・渋川市)にて1920年(大正9年)4月に着工、2年半の工期を経て1922年(大正11年)11月に完成させた。送電開始は12月26日付である。発電所出力は10,800kWであり、送電線は東京方面への群馬線が接続した。 利根川水系吾妻川を利用する水力発電所の一つで、吾妻川では下流寄り(利根川合流点寄り)にあり、上流側に群馬水電(旧・須川電力)が計画する箱島発電所、下流側に下記の渋川発電所が立地する。取水口位置は吾妻郡東村大字箱島(現・東吾妻町)で、水路・発電所ともに吾妻川右岸(南側)にある。 この吾妻川は支流域に草津温泉があり、ここからの水が須川(現在名白砂川)を経て吾妻川に合流することから、水質が酸性を帯びるという特徴があった。このため工事への懸念から水力発電計画が長年立てられないでいたが、旧群馬電力創業者の田島達策は放置されていた吾妻川の有効活用を志し、1906年(明治39年)に県内有志とともに吾妻川の水利権を申請した。前後して浅野総一郎も出願しており競願となったが、県当局の調停によって妥協がなり、同年9月、須川合流点の下流2里にある松谷を境界として上流側は浅野側、下流側は田島側にそれぞれ水利権が許可された。田島側は早期着工を目指すものの、浅野側発電所の放水路より取水する設計を採用したため浅野側が起工しないうちは着工できなかった。しかしその間に吾妻川の各地を調査した結果、下流の金井・渋川地点であれば酸性の河水の影響による金属腐食のおそれはなく工事にまったく支障はない、との結論を得たため先行起工の運びとなった。河川の特性上、完成した金井発電所の水車には耐酸性のものが採用されている。 1928年時点における金井発電所の設備等は以下の通り。 取水河川:利根川水系吾妻川 使用水量:1,200立方尺毎秒(約33.39立方メートル毎秒) 有効落差:140尺(約42.42メートル) 水車:電業社製横軸フランシス水車3台(うち1台予備) 発電機:芝浦製作所製三相交流発電機3台(容量4,250キロボルトアンペア、うち1台予備) 変圧器:芝浦製作所・三菱電機・ウェスティングハウス製 東京電灯への合併後、金井発電所は1941年(昭和16年)10月に東京電灯から日本発送電へと出資された。続く太平洋戦争後1951年(昭和26年)に行われた電気事業再編成では東京電力に継承されている。
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