「電力戦」開戦
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「東京電力 (1925-1928)」の記事における「「電力戦」開戦」の解説
1926年(大正15年)5月24日、東京電力は東京市郊外の南葛飾郡・南足立郡および北豊島郡南千住町における大口(一構内あたり50馬力以上)の電力供給を許可された。この地域への参入は、東京方面への本格進出を図るためのものである。 当時、上記地域は東京府内でも有数の工業地帯であり、大口需要が比較的密集して存在することから効率的な供給が可能で、その上紡績やモスリンといった負荷の高い工場が集中するため、東京電灯にとっても収益を支える重要な地域であった。実際に、1926年上期の時点における東京電灯の同地域内の電力供給契約は約4万5,000kWにのぼり、東京電灯全体の電力需要の約13%に相当していた。東京電力がこの地域における電力供給許可を申請したのは、前年8月に時の加藤高明内閣が憲政会単独内閣となってからで、許可を与えた逓信大臣は安達謙蔵である。東京電灯は副社長の若尾璋八が立憲政友会総務であるなど立憲政友会系の会社と目されていたことから、東京電灯の重要地域への東京電力参入を許可したのは政友会と対立する憲政会の党略である、との指摘がある。 ともあれ南葛飾・南足立・北豊島3郡における大口電力供給権を獲得した東京電力は、供給体制の整備に着手。金井発電所(群馬県)から川崎へと至る既設11kV送電線(群馬本線)の途中から支線を分けて南葛飾郡松江町に変電所を設置し、さらに2次変電所を同郡大島町と東京市内本所区・深川区の3か所に配置して、群馬県下金井・渋川両発電所からの電力と上毛電力からの受電をあわせた合計2万8,800kWをこの地域に供給することとした。さらに渇水時の予備として3万5,000kWの出力を備える火力発電所の建設にも着手している。 実際の供給を始める前の1926年後半より、電力料金の引き下げや文書による勧誘などを伴う需要家獲得競争が東京電力・東京電灯の間で開始された。東京電力では、以下の点を自社の優位性として挙げて営業活動に努めた。 低料金 - 建設費の圧縮によって電力の原価が低いことによる。 安定供給 - 各発電所に加え東邦電力とも広域に連系して故障や渇水に備えることによる。 地下線供給 - 風雪に対して故障がなく工事費も安い地下配電線によって供給する。 設備の単純化 - 配電設備を単純化することで安全度を向上する。 無休送電 - 従来1か月に2日の送電停止(休電日)があったが1年を通じて昼夜無休の供給とする。 上記のうち電力料金については、東京電力は東京電灯よりも安い水準で販売するとした。これに対し、東京電灯の側も料金の値下げに踏み切り、1926年6月1日から東京電力の料金と同等の水準で供給を始めたほか、優秀な社員を第一線に立てて顧客の維持に奔走した。 1927年(昭和2年)1月1日、東京電力は南葛飾・南足立・北豊島3郡および東京市深川区・本所区方面での電力供給を開始した。この地域で最大の需要家である南葛飾郡の日清紡績への供給(供給電力2,700 kW)を東京電灯から奪い取るなど需要家を相次いで獲得するが、一方で東京電灯の反撃にあって需要家を奪い返されるなど、同社との間で激しい需要家の争奪戦を展開する。また群馬電力時代から競合していた京浜電気鉄道沿線地域でも、1924年6月に競争的行為を避けるという協定が締結されていたにもかかわらず競争が激しくなり、横浜船渠への供給 (1,700 kW) を東京電力が奪うといったことが起きた。こういった激しい「電力戦」について需要家側からは、東京電灯のみに頼ると無理を押し付けられるので競争会社は必要である、と歓迎する意見が出ている。 東京電力の進出は、工場電化の進展や電力利用の普及を促進したという面もあった。東京電灯から奪った需要家も相当数あったが、全体の8割近くは新規の需要であったのである。富士製紙江戸川工場 (2,000 kW) や日本電気 (1,715 kW)、芝浦製作所 (1,600 kW) などはそういった新規の需要家である。京浜方面とあわせると、毎年3万kW以上の需要増加が見込まれる電力市場であったという。 電力戦の傍ら、1926年後半から建設中の発電所が相次いで竣工する。まず1926年5月、建設中の早川第三発電所から川崎第一変電所へ至る送電線(田代本線、送電電圧154kV)が完成。翌1927年1月より早川第三発電所が運転を開始し、続いて田代川第一発電所が8月に、田代川第二発電所が11月にそれぞれ運転を開始した。これらの水力発電所以外にも鶴見町の東京火力発電所が1926年12月に完成、1927年5月には発電機がもう1基完成して竣工している。
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