「電力揚水機」の誕生とは? わかりやすく解説

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「電力揚水機」の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 23:12 UTC 版)

木村九兵衛」の記事における「「電力揚水機」の誕生」の解説

明治30年代米作りでは、農家水不足悩まされていた。乾田農法流行り出し耕地整理開田進み同時に農業用水需要増大する一方田植え前後需要期や、渇水期には各派川の末端水不足をきたし、各地水争い絶えなかった。 そこで、矢馳耕地整理組合組織して耕地整理事業取り組んでいた九兵衛は、電力利用した灌漑着目、「電力揚水機」の設置発案したその後設計担当した鶴岡水力電気株式会社今井技師東京多摩川浄水場の上設備横須賀海軍施設ドック排水設備視察地主らにはかって明治35年1902年)に矢馳揚水機組合組織し地区流れ湯尻川揚水機場を設置した。 この揚水機は、九兵衛ドイツから輸入したジーメンス・ウント・ハルスケ社(現シーメンス社)製の15馬力三相交流誘電の電動機と、石川島造船所IHI)製の容量1分40石余のセントルフューガル・ポンプを組み合わせたもので、設備費総額2499円28銭。これには大泉地区青龍寺川八沢川水利組合補助を受け、木村家100円寄付鶴岡市史によると、残り47457銭は他の地主負担したという。 当時は、鶴岡水力電気会社(のちに東北電力統合)が創設されたばかり大泉地区にはまだ電灯がなかったため、揚水機設置されたのを機会木村家のほか、村役場小学校点灯された。 矢馳揚水機組合鶴岡水力電気との電気利用契約は、昼間5月8月までの4カ月夜間5月27日から7月26日までの2ヵ月で、電力使用量は10時単位1円70であったが、これは組合代表の九兵衛鶴岡水力電気の有力株主であったことから便宜図った金額であったという。一方電気会社にとってもオフピーク時である、とくに昼間の市場開発としての意味は大きかった電力揚水機設置によって107ヘクタール水田潤した。これが日本最初農業電化といわれ、昭和10年1935年2月矢馳揚水機組合は、「農事電化功労者」として農事電化協会表彰受けたまた、平成15年2003年12月農事電化50周年記念山形県東北電力協力で、揚水機場の設置場所農業電化発祥記念碑を建て、九兵衛功績たたえる同時に後世にその偉業伝えている。

※この「「電力揚水機」の誕生」の解説は、「木村九兵衛」の解説の一部です。
「「電力揚水機」の誕生」を含む「木村九兵衛」の記事については、「木村九兵衛」の概要を参照ください。

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