金井総兵衛家の和算家としての流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 14:57 UTC 版)
「金井稠共」の記事における「金井総兵衛家の和算家としての流れ」の解説
祖である玄蕃は、新田義貞より10世信濃守国繁に忠節をもって仕えていたが帰農して宮戸村に住んだとされる。しかし、子に恵まれず、弟の図書に家督を譲っている。二代目を称した安右衛門(生年不詳 - 1742年)の父が総兵衛と言う名である。安右衛門自身は和算書『塵劫記』に署名が記されている事から算学を嗜んでいたものと思われる。安右衛門は3男1女と子に恵まれ、その子は医師や画家として育っていく。三代目金井総兵衛重熙(1720年 - 1775年)は祖父である安右衛門の指導を受け、早くから算法を学んだとされ、『算法根源記』には、「関流直伝金井総兵衛重熙」の署名がある事から関流の和算を学んだ事が分かる。宝暦5年に須永直右衛門が彼に宛てた「算術相伝につき他言他見なすまじき」旨の誓詞も残っており、優れた算法の指導者だった事が分かる。四代目金井総兵衛義適(1746年 - 1839年)は重熙の3男として生まれ、幼名万五郎、俳号を眠石。
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