送電網の形成とは? わかりやすく解説

送電網の形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 02:40 UTC 版)

東京電力 (1925-1928)」の記事における「送電網の形成」の解説

東京電力では発電所建設とともに送電線変電所建設順次進めた主要な送電線には「群馬本線」・「早川本線」・「田代本線」があった。その概要以下の通り群馬本線 群馬県下の金井渋川発電所接続する送電線は「群馬本線であった金井発電所川崎第一変電所(神奈川県川崎市小川町)を結ぶもので、送電電圧は110kV、亘長は132キロメートル1922年12月使用開始された。 金井発電所には上毛電力伏田発電所とを結ぶ110kV送電線「伏田線」が接続する。また途中片山開閉所で分岐して東京市外を迂回し小松川変電所東京府南葛飾郡松江町)へと至る110kV送電線南葛線」も存在した。同線は1927年1月使用開始である。 早川本線 早川第一発電所に関する送電線は「早川本線」である。早川第一発電所起点境川開閉所・三島開閉所を経て川崎第二変電所(神奈川県橘樹郡鶴見町)へと至る。送電電圧は66kV、亘長は163キロメートル最初に使用開始され区間境川開閉所までで、その先島田変電所静岡県志太郡島田町)へと至る「島田線」に接続1923年7月早川第一発電所が運転を開始するとその電力はまず島田変電所へと送電された。翌1924年4月境川開閉所から三島開閉所までの区間使用開始となり、沼津変電所静岡県駿東郡大岡村)への送電が始まる。そして同年9月残る川崎第二変電所までの区間使用開始された。 田代本線 田代川第一第二発電所おおび早川第三発電所接続する送電線は「田代本線」である。早川第三発電所川崎第一変所を結ぶ亘長160キロメートル送電線であり、社内唯一154kVの送電電圧採用する早川第三発電所運転開始後、1927年9月全線使用開始となった。 なお早川第三発電所早川第一発電所連絡線として66kV送電線新倉線」があった。同線は1927年1月早川第三発電所送電開始とともに使用開始となっている。 また東京電力自社設備ではないが、親会社東邦電力により1925年7月名古屋火力発電所名古屋市)と浜松変電所浜松市原島)を繋ぐ送電電圧77kVの浜松送電線完成した1927年5月時点では浜松変電所における東邦電力から東京電力への供給高は9,000 kW(他地点別に750kWも供給)で、これは東京電力社内では上毛電力からの受電に次ぐ規模購入電力であった

※この「送電網の形成」の解説は、「東京電力 (1925-1928)」の解説の一部です。
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