二重橋爆弾事件 (1922年)
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二重橋爆弾事件 (にじゅうばしばくだんじけん)とは、大正11年(1922年)3月17日、大正天皇もしくは摂政宮に上奏文を渡して直訴する目的で皇居に二重橋(第一橋)から入り込もうとした労働者・藤田留治郎が、持っていた爆弾に火を付けて走り出し、詰所の警官を振り切って橋の上で爆死して自殺した事件である[1][2]。単に二重橋事件とも云う。
- ^ a b #昭和天皇実録第三巻, 593-594頁『(大正十一年三月)十七日 金曜日(直訴事件)』
- ^ 真鍋 1923, p.126
- ^ a b “問題となれる二重橋事件:床次内相答弁の後更に秘密会に入る”. 大阪朝日新聞. 神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ (1922年3月19日). 2015年10月28日閲覧。
- ^ 真鍋 1923, p.141
- ^ a b “上奏文を容れたる茶壷を捧げて飛込む:二重橋爆弾事件の怪漢:滋賀県生れの藤田留治郎と判明す”. 時事新報. 神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ (1922年3月19日). 2015年10月28日閲覧。
- ^ 真鍋 1923, pp.151-153
- ^ 弘田勝太郎「国立国会図書館デジタルコレクション 二重橋畔の爆彈自殺」『普選運動史及普選の心得』而立社、1923年、135頁 。
- ^ 真鍋 1923, pp.148-149
- ^ これに対し真鍋は『今回の爆死に當つて或る者は君に忌はしい宿痾があり療養の費無き結果人生を果敢なんで悶死したものゝ如く讒誣したものがあるが、君の平生を知らざる甚だしきものである』と延べている[8]。
- ^ 真鍋 1923, pp.87-94。『原首相暗殺者 中岡艮一の豫審調書』
- 1 二重橋爆弾事件 (1922年)とは
- 2 二重橋爆弾事件 (1922年)の概要
- 3 脚注
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