『鏡子の家』
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この家を三島由紀夫の長編小説『鏡子の家』のモデルだとする説がある。以下、新潮文庫版『鏡子の家』より引用。 「車は四谷東信濃町にある鏡子の家へ行くのである」 「鏡子の家は高台の崖に懸かっているので、門から入った正面の庭越しの眺めはひろい。眼下には信濃町駅を出入りする国電の動きがみえ、かなたには高い明治記念館の森と、そのむこうの大宮御所の森とが、重複して空を区切っている。」 「門の正面が、前にも言ったいわば借景の洋風の庭、左に洋館があって、これにつづいて更に左に、洋館が接収されているあいだ一家の住んでいた小さな日本館がある。車はせまい門前の路には停められないので、門内の洋風の玄関の前にパークされるのである」 「露台に通ずる仏蘭西窓があけてあるので、国電の発車の呼笛の音はよくひびいてきこえた。信濃町駅は一連の灯をともした」 藤森照信は『建築探偵の冒険 東京篇』で、まだ信濃町にあったデ・ラランデ邸(三島邸)を実際に訪れた後、『鏡子の家』を読んでみて、その描写が信濃町の三島邸をそっくり写していると記し、おそらく、「西洋かぶれ」の作者は、電車の窓からこの家を見つけ、散歩がてらに建築探偵し、<三島>という表札が気に入って、モデルにしたんだろうと推測している。 猪瀬直樹は『ペルソナ 三島由紀夫伝』の中で『鏡子の家』について、三島が出入りしていた屋敷とその女主人が素材にされているとし、小説はサロンの所在が信濃町となっているが、実際は品川区であると記している。
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