『長崎市長への七三〇〇通の手紙』
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「昭和天皇の戦争責任論」の記事における「『長崎市長への七三〇〇通の手紙』」の解説
1988年12月に長崎市議会で本島等長崎市長が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言した問題は大きな波紋を呼んだ。 日本全国から、さらに国外からも多くの封書、葉書などが寄せられ、それらをまとめた書籍も発行された。『長崎市長への七三〇〇通の手紙』は、1988年12月8日から1989年3月6日まで市長宅に届き、そこから編集部に送られたはがき、封書、電報、電子郵便の合計7323通が収録されている。その内容については、市長を激励するものが6942通、批判・抗議するものが381通で、圧倒的に市長が支持されている内容となっている。 ただし本島市長を「支持する」内容が即ち「天皇の戦争責任を認める」ものとは言えず、たとえば「その勇気に感銘した」という論旨のものや、反対勢力の暴力的恫喝的な行動への批判を表明するものなども散見される。しかし、自分の体験などに言及しつつ市長の発言に支持を表明するものも数多く収められている。
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