『長崎市長への七三〇〇通の手紙』とは? わかりやすく解説

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『長崎市長への七三〇〇通の手紙』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 00:02 UTC 版)

昭和天皇の戦争責任論」の記事における「『長崎市長への七三〇〇通の手紙』」の解説

1988年12月長崎市議会本島等長崎市長が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言した問題大きな波紋呼んだ日本全国から、さらに国外からも多く封書葉書などが寄せられ、それらをまとめた書籍発行された。『長崎市長への七三〇〇通の手紙』は、1988年12月8日から1989年3月6日まで市長宅に届き、そこから編集部送られたはがき、封書電報電子郵便合計7323通が収録されている。その内容については、市長激励するものが6942通、批判抗議するものが381通で、圧倒的に市長支持されている内容となっている。 ただし本島市長を「支持する内容が即ち「天皇の戦争責任認める」ものとは言えず、たとえば「その勇気感銘した」という論旨のものや、反対勢力暴力的恫喝な行動への批判表明するものなども散見される。しかし、自分体験などに言及しつつ市長発言支持表明するものも数多く収められている。

※この「『長崎市長への七三〇〇通の手紙』」の解説は、「昭和天皇の戦争責任論」の解説の一部です。
「『長崎市長への七三〇〇通の手紙』」を含む「昭和天皇の戦争責任論」の記事については、「昭和天皇の戦争責任論」の概要を参照ください。

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