関谷晧元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/08 08:43 UTC 版)
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関谷 晧元(せきや こうげん、1935年 - )は、日本の宗教家。元宗教法人幸福の科学活動推進委員、秘書課長、初代総務局長、本部講師。1989年、幸福の科学脱会を経て、チャネリング団体レムリア・ルネッサンス代表。2005年、レムリア・ルネッサンス代表辞任。DIL(Discovery of Inner light)代表。
経歴
新潟県十日町市出身。日産自動車のセールスマンを経て独立、1967年東京都世田谷区で自動車、バイクの販売会社を設立、89年まで社長。ロンドンタクシーや、ハーレーダビッドソン等の外車の輸入も。
大川隆法著『日蓮聖人の霊言』を読み、1986年に任意団体であった、現宗教法人幸福の科学に参加。活動推進委員を経て初代総務局長。幹部人事を担当、資金計画立案、出版ルート開拓、他教団との折衝にあたる。大川の結婚式では仲人を務める。また、本部講師として、会の基本原理である「四正道」を解説して全国を巡回。幸福の科学主宰(現総裁)大川隆法の"神託"により、妻子と別れ、指定された女性と結婚。後に離婚。脱退前、「最期の奉公」と考え、大川隆法に旧東京本部、現総合本部の、千代田区紀尾井町の紀尾井町ビルへの入居発案。大川隆法の意を受け、折衝、実現。「綱紀粛正」と称して強権的人事を意のままにする大川隆法のワンマン体制への疑問を契機として脱退。
幸福の科学での体験記として『虚業教団』を上梓。後、女性チャネラーの、当女性の守護霊のチャネリングによる幸福の科学へのメッセージをまとめ『もとなる心へ』として出版。『虚業教団』は活動方針や大川に対する批判、論評を含む内容であったため幸福の科学から20数カ所を捏造であるとして1億円の損害賠償で訴えられるが、6年間におよぶ裁判の結果、該当箇所は全て事実であることが立証され関谷が勝訴する[1]。桃山学院大学社会学部教授の沼田健哉によると、『虚業教団』の出版により少数ではあるが幸福の科学からの脱会者が生ずる影響があったという[2]。
チャネリング団体「レムリア・ルネッサンス」代表、『レムリアの風』上梓。当会設立当初より守ってきた「集団指導体制」、「合議体制」の崩壊により「霊言者の独裁体制」に移行したとして2005年1月27日辞任。
求道者・信仰者の神理(神が造った法則)探究のためのコミュニケーションの場としてDIL(Discovery of Inner light)設立、代表。
著作
- 『虚業教団‐「幸福の科学」で学んだものは何だったのか』(現代書林)1993年12月、ISBN 4876207003
- 『もとなる心へ‐「幸福の科学」の皆さんへのメッセージ』(日新報道)1995年02月、ISBN 481740342X
- 『レムリアの風‐高橋信次・日蓮・ゼウスからも熱いメッセージが』(日新報道)2004年03月、ISBN 4817405651
関連項目
脚注
- ^ 『FOCUS』新潮社 2000年8月30日号 p18 ~ p19
- ^ 沼田健哉 『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社、1995年1月20日、201頁。ISBN 9784422140193。
外部リンク
- DIL 関谷晧元(公式ホームページ)[リンク切れ]
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固有名詞の分類
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