出発まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:06 UTC 版)
「アメリカン航空11便テロ事件」の記事における「出発まで」の解説
攻撃の首謀者であるモハメド・アタと、犯行メンバーの1人であるアブドゥルアズィーズ・アル=オマリー(英語版)は、2001年9月11日の午前5時40分(東部夏時間 (EDT)、以下同じ)、メイン州ポートランドのポートランド国際ジェットポートに到着した。2人は、ボストン経由ロサンゼルス行きの航空券を所持しており、ポートランドからボストンまではコルガン・エア5930便、そこからAA11便に乗り継ぐ予定だった。彼らはポートランドでAA11便の航空券も受け取ろうとしたが、係員に拒否された。アタは激しく怒り抗議したが、ボストンでチェックインするよう係員から求められたため、まずボストン行きの5930便に搭乗した。この時、アタは手荷物を2点預け、オマリーは荷物を預けなかった。搭乗手続きの際にコンピュータ支援型旅客事前スクリーニングシステム(英語版) (CAPPS) がアタの手荷物を追加検査するよう指示したものの、特に問題は見つからず彼らはそのまま搭乗した。 5930便はポートランドを定刻の6時に離陸し、6時45分にボストンのローガン空港に到着した。残り3人のハイジャッカーワリード・M・アルシェフリ(英語版)、ワイル・M・アルシェフリ(英語版)、サタム・M・A・アル・スカミ(英語版)も6時45分にローガン空港に到着し、乗ってきたレンタカーを空港駐車場に駐めた。この頃、同時多発テロの犯行メンバーの一人でユナイテッド航空175便 (以下、UA175便と表記) の乗っ取りを担当していたマルワン・アル・シェヒ(英語版)も同じローガン空港にいた。アル・シェヒはアタと携帯電話で連絡をとったことが分かっており、計画の決行の可否を話し合った可能性が示唆されている。UA175便は、AA11に続いてワールドトレードセンターに突入することになる。 アタとオマリーは、ボストンでAA11便の搭乗手続きを行った上で保安検査を受けた。ボストンでの慌ただしい搭乗手続きの際、航空会社の係員はアタの手荷物をAA11便に載せなかった。スカミ、ワイル・アルシェフリ、ワリード・アルシェフリの3人もボストンで搭乗手続きを行った。スカミとワイル・アルシェフリは1個ずつ手荷物を預け、ワリード・アルシェフリは荷物を預けなかった。CAPPSは3人の荷物を詳細に検査するよう指示した。CAPPSのスクリーニング対象はあくまで手荷物であり、3人のハイジャッカーは保安検査場において追加の検査を受けることはなかった。 AA11便の出発予定時刻は7時45分で、7時40分までに5人のハイジャッカー全員は搭乗していた。アタ、オマリー、スカミの座席はビジネスクラスで座席番号はそれぞれ8D、8G、10Bだった。ワイル・アルシェフリとワリード・アルシェフリの2人はファーストクラスで座席はそれぞれ2Bと2Aだった。定刻より1分遅れの7時46分、AA11便はゲートB32からプッシュバックする許可を得た。
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