出発までの経緯とは? わかりやすく解説

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出発までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:55 UTC 版)

郡司成忠」の記事における「出発までの経緯」の解説

1892年明治25年)、郡司千島移住趣意書海軍当局提出する。しかし、海軍上層部はこれを許可しなかった。同時に郡司希望していた、小艦「露天号」の貸下げも軍は拒否している。この理由について綱淵謙錠は、ロシア対す遠慮があって、海軍が公式に千島へ向かうことはできなかったのではないか推測している。しかし郡司諦めず海軍大尉退いて予備役となり、民間人として千島目指すことにした。 しかし、予定していた船の手配ができず、かといって自前予定同等の船を用意できるほどの資金郡司には無かった悩んだ末に、横須賀鎮守府不要になった短艇払い下げてもらい、これで千島へ向かうことにした。郡司海軍兵学校時代東京湾短艇巡行実行した(これはその後海軍兵学校恒例行事となり、校舎江田島移ってからも続くことになった経験があるなどボート操作には慣れており、他の拓殖希望者も元海軍の人間であることからボート技術は身につけていたとはいえ、これは危険な計画であった。しかし郡司以外のメンバー中には、すでに家族説得勤務先退職をして千島移住準備をしていた者も多く計画をあまり延期することもできないという事情があったのである。 こうして、窮余の策とはいえ船の算段もついた郡司は、1893年明治26年2月22日、後に「千島拓殖演説」と呼ばれる講演行ない、その翌々日には土方久元宮内大臣から拓殖隊に「報效義会」という名が与えられる。これらが新聞などのメディアで報じられるとその反響大きく同年シベリア横断実行した福島安正とともに国民人気集めようになった添田唖蝉坊自伝唖蝉坊流生記』の中でこの二人歌った演歌ヒットしたことについて語っている。また、福島中佐郡司大尉遠征双六」が売り出されたという記録もある。 これら世論高まりによって、岩崎弥太郎黒田清隆谷干城といった面々始めとして寄付金当初の予定額を超えるほどに集まり、また入会希望者も続々増えることになった。しかし報效義会には入会海軍出身者に限るという内規があり、このため岡本監輔(かつて日本人として初め樺太一周成功し、< 1901年明治24年):要修正 >には「千島義会」を結成して千島探検試みたが船の沈没失敗した)も入会断られているが、ここで陸軍出身白瀬矗は「自分海軍出身者でないためボート技術に不安があるというなら、陸行渡し船使って独自に千島へ渡るので迷惑はかけない」と熱心に入会希望した最終的に郡司はその熱意負け例外として白瀬には入会許し白瀬らは陸行の後に北海道合流することになったまた、もう一人例外として、東京朝日新聞社の横川勇次(後の横川省三)が特派記者として同行することとも決まり3月14日東京美術学校郡司の弟である幸田露伴らにより送別会開かれ3月20日には隅田川出発セレモニーが行なわれることになった。 ところが、ここに来て郡司行動に対して批判出てくることになる。例えば、『大日本教育新聞』は「堅牢な帆船手に入れられる程度には資金集まったにもかかわらずボートでの航行という危険な計画変えないのでは、千島拓殖ではなくボートでの冒険の方が目的のようではないか」という内容批判行なった。この批判に対して郡司は、その手記に「資金乏しき為、已む得ず企てた短艇はからずも壮図なりとして賛成せられたるより得た此の資金を以て帆船を賃傭するが如きは、余の大い恥づる所なり」と記している。また、川村純義中将は、「探検成功していないうちに賞賛を受けるのは褒められることではない。己を吹聴するではなく、ひっそりと出発すべき」という内容の手紙を郡司送った郡司がこれに対してどう考えたということについて手記などは残っていないが、どう考えていたにせよ、世の注目郡司集まりすぎるほど集まっており、もはや計画変更できないところに来ていた。

※この「出発までの経緯」の解説は、「郡司成忠」の解説の一部です。
「出発までの経緯」を含む「郡司成忠」の記事については、「郡司成忠」の概要を参照ください。

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