出発・往路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:05 UTC 版)
20隻の艦隊司令官にはカブラルが任命される予定だったが、隊編成に反対して辞退したためヴァスコに役目が廻ってきた。しかし準備が進まず、1502年2月10日にインド洋駐留5隻を含む15隻でヴァスコは航海に出発し、残り5隻はいとこのエステヴァン・ダ・ガマの指揮で4月1日に出航した。 途中、座礁し放棄した船もあったが、7月4日にはモザンビークに到着した。そして12日、カブラルらポルトガル船に敵対的だったキルワに到着すると、港から市街に砲撃を加えた。最終的に国王の降伏を受諾したヴァスコは、キルワ王国をポルトガルの朝貢国とし、毎年584クルサドを納める命令を残して22日に出発した。
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