アメリカおよび連合軍の軍集団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:40 UTC 版)
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第一次世界大戦においては、フランス軍が以下の5個軍集団の編成を行っている 北方軍集団(Groupe d'armées du Nord)(フランス語版)フェルディナン・フォッシュ(1914年10月4日-1916年12月27日) ルイ・フランシェ・デスペレー(英語版)(1916年12月27日-1918年6月10日) ポール・メーストル(フランス語版)(1918年6月10日-1918年11月11日) 中央軍集団(Groupe d'armées du Centre)(フランス語版)エドゥアール・ド・カステルノー(フランス語版)(1915年6月22日-1915年12月15日) フェルナンド・ラングル・ド・カリー(フランス語版)(1915年12月12日-1916年5月2日) フィリップ・ペタン(1916年5月2日-1917年5月4日) エミール・ファヨール(フランス語版)(1917年5月4日-1917年12月1日) 東方軍集団(Groupe d'armées de l'Est)(フランス語版)オーギュスト・デュバイユ(フランス語版)(1915年1月5日-1916年3月31日) ルイ・フランシェ・デスペレー(英語版)(1916年3月31日-1916年12月27日) エドゥアール・ド・カステルノー(フランス語版)(1916年12月27日-1917年1月21日) フェルディナン・フォッシュ(1917年1月21日- 1917年3月31日) エドゥアール・ド・カステルノー(フランス語版)(1917年3月31日-1918年11月11日) 予備軍集団(Groupe d'armées de Réserve ou de Rupture)ジョゼフ・アルフレッド・ミッチェラー(フランス語版)(1917年1月- 1917年5月8日) エミール・ファヨール(フランス語版)(1918年2月23日-1918年11月11日) フランダース軍集団(Groupe d'armées des Flandres) - ベルギー軍残存兵力で構成アルベール1世(1918年2月23日-1918年11月11日) これにイギリス遠征軍(British Expeditionary Force)が指揮下に加えられた 第二次世界大戦中の1944年、連合軍はヨーロッパ反攻をにらみ、イギリスで下記の4個軍集団の編成が行っている。 第21軍集団(英語版) - 北フランスからイギリス海峡沿いにベルギー、オランダ方面を担当。司令官:バーナード・モントゴメリー元帥(イギリス陸軍) 第12軍集団(英語版) - フランス北部からライン川沿岸、ルール方面を担当。司令官:オマール・ブラッドレー大将(アメリカ陸軍) 第6軍集団(英語版) - 南フランスからアルザス方面を担当。司令官:ジェイコブ・L・ディヴァース中将(アメリカ陸軍) 第15軍集団(英語版) - イタリア方面担当。司令官:マーク・W・クラーク大将(アメリカ陸軍) 冷戦期においては、西ドイツ中部にNATOの2個軍集団(北部軍集団(NORTHAG)、中部軍集団(CENTAG))の配備が行われていた。 1991年には冷戦の終結に伴い、北部軍集団・中部軍集団の司令部は解体され、他に転用された。 典拠管理 GND: 4314743-4
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