番組初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/22 20:53 UTC 版)
デビュタントことわざ劇場 山口県の劇団「シアターデビュタント」によることわざ講座。初期のコーナー 瓜瓜 初期の人気コーナー。有名人のそっくりさんを紹介するコーナー。似ているかどうかは原口が判定。 Finger5 テーマに基づいたランキングを発表。あるあるネタを5つ紹介するようなものであった。 瀬戸際のTOTOちゃん 藤田と原口の対決コーナー。 女子だじゃれ部 視聴者から募集しただじゃれを発表するコーナー。 SOBOKUな 視聴者からの素朴な疑問・質問に、マジメにお答えするコーナー。 噛ミングOUT 滑舌の悪い(と藤田に評される)原口が早口言葉にチャレンジする。 フジワラ春のパンまつり→フジワラ初夏のパンまつり(季節が変わったため) 魚釣りゲームでパンにはさむ具材を決め、その具材で原口・藤田が料理を作り審査員に食べてもらい、どちらがよかったかを審査してもらう。
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番組初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 05:56 UTC 版)
「もうすぐ夜明けABC」の記事における「番組初期」の解説
朝日放送では、1983年10月7日まで、『ヤンリク』を1日の最終番組として編成。基本として、午前3:00で放送を終えていた。しかし、在阪の中波他局が24時間終日放送へ相次いで踏み切ったことを背景に、朝日放送も最後発ながら月 - 土曜日の終日放送を開始。『ヤンリク』本番終了後の放送休止時間帯に『もうすぐ夜明けABC』を編成したうえで、同年10月10日から生放送を始めた。 詳細は「ABCヤングリクエスト#ヤンリク担当のアナウンサーによる生での放送終了アナウンス」を参照 番組開始当時は、月曜を除く3:00-5:00の放送で、タイトルも『3時です もうすぐ夜明けABC』(さんじです もうすぐよあけエービーシー)。初期の頃は明星食品の単独提供番組だった。 基本的には女性パーソナリティーが番組を担当し、3時台は『ヤンリク』からの流れを継いで最近のヒット曲やアイドルのナンバーを中心に構成。4時台は早朝早起きをするお年寄りなどにターゲットを絞って、演歌や懐メロを中心にリスナーからのリクエストなどで構成した。 1980年代後半は土曜深夜(日曜未明)の放送で、番組唯一の男性パーソナリティーとして尾崎千秋が出演したこともあった。また、一時期(1987年度下半期)は『ABCラジオファンキーズ』が金曜日に限り土曜日午前5時まで放送されたため、土曜日が休止された時代もある。その後、1990年代から2000年代にかけて土曜深夜の放送は廃止されていた。
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番組初期(1986年4月 - 1987年3月)
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「FNNモーニングコール」の記事における「番組初期(1986年4月 - 1987年3月)」の解説
FNN初の大型ニュースワイド番組『FNNモーニングワイド ニュース&スポーツ』(鹿内信隆時代末期に放送開始)の後継番組で、当時のフジテレビ会長だった鹿内春雄のめざしていた「やわらかいニュース番組を」というコンセプトで放送が開始された。 キャスターとして起用された川端健嗣は入社3年目、長野智子は入社2年目とフレッシュな顔ぶれ。さらにこの2人は、番組のテーマソング『気分は、はじけるピーチ』(作詞:森浩美/作曲:網倉一也)を歌い、レコード発売もされた。コーナーはニュース、スポーツのほか、ネット局リレー中継も放送された。また、新宿・スタジオアルタ前からの生中継も毎日行われたほか、海外ニュースや、ファッション情報や、洋楽情報も放送。コーナーキャスターにはバイリンガルDJの西森マリーが起用された。
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