サン・レコード
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サン・レコード | |
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親会社 | Sun Entertainment Corp. |
設立 | 1952年 |
設立者 | サム・フィリップス |
ジャンル | ロカビリー カントリー・ミュージック リズム・アンド・ブルース ブルース |
国 | ![]() |
公式サイト | http://www.sunrecords.com/ |
サン・レコード (Sun Records ) は、1952年3月27日にアメリカ合衆国テネシー州メンフィスで設立されたインディペンデント系レコードレーベル[1]。
サム・フィリップスによって設立され、エルヴィス・プレスリー(そのレコード契約権は1955年に35,000ドルでRCAレコードに売却され、経営危機を救った)、カール・パーキンス、ロイ・オービソン、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ等の著名な歌手にとって、デビューして最初に契約したレコードレーベルとなった。このような著名な歌手と契約する前は、フィリップスがリズム・アンド・ブルースを好み、白人にブラックミュージックを聴いて欲しいと願ったため、サン・レコードは主にアフリカ系アメリカ人と契約するレコードレーベルとして知られていた。オーナーのサム・フィリップスがフロリダ州に旅行に行っている間にジェリー・リー・ルイスを発掘したのは、音楽プロデューサーで技術者のジャック・クレメントであった。サン・レコードの当初のロゴはメンフィスの住人でフィリップスの高等学校時代の同級生であったジョン・ゲイル・パーカー・ジュニア.がデザインしたものである。
経緯
1952年までフィリップスが新人をスカウトして紹介していたレコード会社重役の1人であるジム・ブレットの財政援助でフィリップスはサン・レコードを創立した[2]。
20世紀後期、多くのサン・レコードのミュージシャンの音楽がロックンロールの基礎を築いて多くの若いミュージシャン、特にビートルズに影響を与えた。2001年、ポール・マッカートニーはトリビュート・コンピレーション・アルバム『Good Rockin' Tonight: The Legacy Of Sun Records 』に参加した。1956年12月4日、プレスリー、パーキンス、キャッシュ、ルイスによる即興演奏が『ミリオン・ダラー・カルテット』と名付けられ、サン・レコードのピアノをプレスリーが弾き、その周りを他の3名が取り囲んだ有名な写真を基に、2010年、トリビュート・ミュージカル『ミリオン・ダラー・カルテット』が製作された。
1969年、マーキュリー・レコードのプロデューサーのシェルビー・シングルトンがフィリップスからサン・レコードを買収した。1970年代初期、シングルトンはこれをサン・インターナショナル社として、サン・レコードの初期のアーティストの曲を再発売した。プレスリーの物真似としてロカビリー歌手ジミー・エリスをオリオンという名で売り出した。現在もサン・エンタテイメント社として存在し、ブランドのライセンスおよび過去の曲(その多くがCDボックス・セットなどに収録されている)の販売権を所有している。サン・エンタテイメント社はSSSインターナショナル・レコード、プランテーション・レコード、アマゾン・レコード、レッド・バード・レコード、ブルー・キャット・レコードを所有している[3]。ウエブサイトでは1950年代のサン・レコードのロゴを冠したCDなど収集価値のあるアイテムを購入することができる。
1970年代から主に再発売を行なっているが、2013年、サン・レコードはジュリー・ロバーツとレコーディング契約を結んだ[4]。
著名な人々
ロスコ・ゴードン、ルーファス・トーマス、その娘カーラ・トーマス、リトル・ミルトン、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュ、エルヴィス・プレスリー、ロイ・オービソン、チャーリー・リッチ、コンウェイ・トゥイッティ(当時本名のハロルド・ジェンキンスで活動していた)などが過去に所属していた。ラヴィン・スプーンフルの曲『Nashville Cats 』の中で、ジョン・セバスチャンが実際はメンフィスであるが誤って「ナッシュビルの黄色いサン・レコード」と言及している。
関連項目
脚注
- ^ Unterberger, Richie. “The Sun Records Collection [Rhino] - Various Artists : Songs, Reviews, Credits, Awards”. AllMusic. 2013年7月13日閲覧。
- ^ Ward, Ed; Rolling Stone History of Rock Music
- ^ “Sun Records Licensing | Sun Record Company”. Sunrecords.com (1956年12月4日). 2013年7月13日閲覧。
- ^ “Julie Roberts First Artist To Sign With Sun Records in 40 years | New Country Music, Listen to Songs & Video”. Roughstock.com (2013年6月19日). 2013年7月13日閲覧。
外部リンク
サン・レコード
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「カール・パーキンス」の記事における「サン・レコード」の解説
エルヴィスの音楽性に自分達を重ね合わせたパーキンスは、対抗意識を燃やし[要出典]、メンフィスのサン・レコードを訪ねる。幾たびか売り込みに通い[要出典]、ようやくオーディションを受けられる事になる。1954年10月上旬、サン・レコードでサム・フィリップスにオーディションされ、パーキンスが10代の時に既に作っていた『Movie Magg 』他数曲披露し[要出典]、合格した。1955年3月19日、『Movie Magg 』でデビューし、B面の『Turn Around 』が地域的にヒットした。南部および南西部のラジオでこの曲が流され、パーキンスはアーカンソー州マリアナ、ウエスト・メンフィスでプレスリーと共演することになった。プレスリーおよび自分の観客についてパーキンスは「叫んでいる観客の前に登場しようとしたが、観客達はプレスリーの登場を待ち望んでいた。それはまるで爆発物のようだった。世界中がロック一色になったようだった」と語った。 サン・レコードから次にジョニー・キャッシュとテネシー・トゥがデビューすることになった。1955年夏、彼らはアーカンソー州リトルロック、フォレスト・シティ、コリンス、テュペロをツアーした。エル・ランショに再登場した時、パーキンス兄弟は交通事故に関わった。運転してきた友人がハンドルに引っ掛かって動けなくなった。パーキンスは燃え始めた車から彼を引きずり出した。クレイトンは車から投げ出されたが、重篤な怪我には至らなかった。 1955年10月、サン・レコードから発表された『Gone Gone Gone 』が地域的にヒットした。この曲はカントリーとリズム・アンド・ブルースの風味豊かなバウンス・ブルースであった。この曲は古典的な『Let the Jukebox Keep On Playing 』のB面で、フィドル、ウエスタン・ブギのベース、スティール・ギター、涙をそそる歌声で構成された。 パーキンスの演奏についてフィリップスは「私はカールがロックを演奏できることを知っているが、彼は当初からエルヴィスが世に出る前からあの音楽を演奏していたと語っていた。この2人のどちらがカントリー界に革命を起こしたのか目の当たりにしたかった」と語った。
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