永長地震
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永長地震(えいちょうじしん)は平安時代後期に起きた巨大地震。南海トラフ沿いの巨大地震と推定されている。東海道沖の地震[注 1]と考えられてきたが、本地震が南海道沖の地震も含むとする説も出されている[1]。
注釈
- ^ 文献には震央位置が記載されているものもあるが、震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地表投影である震央ではない。地震学的な震源は地震計が無ければ決まらず、震源域が広大な巨大地震では無意味な上誤解を与える恐れがある。-石橋(2014), pp.7-8.
- ^ 『地震の事典』は宇佐美龍夫 『日本被害地震総覧』,p41.にあるM 8.0 - 8.5の中間値を採用。
出典
- ^ a b c d 石橋克彦(2016): [論説]1099年承徳(康和)南海地震は実在せず,1096年嘉保(永長)地震が「南海トラフ全域破壊型」だった可能性―土佐地震記事を含む『兼仲卿記』紙背の官宣旨案の考察― (PDF) , 歴史地震, 第31号, 81-88.
- ^ 『大日本地震史料 増訂 一巻』, p153-155.
- ^ 寒川(2007), p57-58.
- ^ 『大日本地震史料』, p68-69.
- ^ 神田茂(1968) 「康和元年土佐における大地震」 地震 第2輯 1968年 21巻 2号 p.142-143, doi:10.4294/zisin1948.21.2_142
- ^ a b 宇津『地震の事典』p579.
- ^ a b c 石橋克彦(1999)、「文献史料からみた東海・南海巨大地震 1.14世紀前半までのまとめ」『地学雑誌』 1999年 108巻 4号 p.399-423, doi:10.5026/jgeography.108.4_399, 東京地学協会
- ^ 矢田(2009), p42-44.
- ^ 矢田(2009), p30-36.
- ^ 矢田(2009), p37-45.
- ^ a b 閲覧検索画面 [古代・中世]地震・噴火史料データベース(β版)
- ^ 石橋(2014), p84.
- ^ 『大日本地震史料 増訂 一巻』, p156-158.
- ^ 矢田(2009), p39-41.
- ^ 『大日本地震史料 増訂 一巻』, p156.
- ^ 河角廣(1951)、「有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951.10.5, pp.469-482, hdl:2261/11692
- ^ 『日本被害地震総覧』, p41-42.
- ^ Ishibashi, K., 1981, Specification of a soon-to-occur seismic faulting in the Tokai district, central Japan, based upon seismotectonics, in "Earthquake Prediction-An International Review", ed by D. W. Simpson and P. G. Richrds, Maurice Ewing Series 4, 297-332.
- ^ 石橋克彦, 2002, フィリピン海スラブ沈み込みの境界条件としての東海・南海巨大地震-史料地震学による概要-, 京都大学防災研究所研究集会13K-7 報告書, 1-9.
- ^ 寒川(2007), p77.
- ^ 寒川(1997), p46.
- ^ 石橋克彦、佐竹健治(1998):「総合報告:古地震研究によるプレート境界巨大地震の長期予測の問題点 -日本付近のプレート沈み込み帯を中心として-」 『地震 第2輯』 1998年 50巻 appendix号 p.1-21, doi:10.4294/zisin1948.50.appendix_1
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