永長佐京
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ながおさ さきょう
永長左京
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生誕 | 永長左京 1908年(明治41年)1月20日 ![]() |
死没 | 1975年(昭和50年)2月22日(67歳没) |
死因 | 喉頭癌 |
肩書き | 第一家庭電器創業者 全日本電気大型経営研究会(全日電)会長 日本電気大型店協会名誉会長 |
受賞 | 藍綬褒章 紺綬褒章 |
永長 佐京(ながおさ さきょう、1908年(明治41年)1月20日 - 1975年(昭和50年)2月22日)は日本の実業家。第一家庭電器創業者。千葉県香取郡神崎町出身。
生涯
千葉県香取郡神崎町に生まれ、高等小学校卒業後に地元の醸造家に丁稚奉公に入る。6年後上京し、1929年(昭和4年)に、小松川町(のちの江戸川区小松川)で酒屋を営業し独立する。戦時体制により1940年(昭和15年)に酒屋を廃業[1]。翌年に牛車による運送業を開始[2]。2年後には日本一と言われるほどの規模に事業を成長させるが[3]、終戦とともに1945年(昭和20年)に廃業した[4]。
1948年(昭和23年)に、千代田区神田富山町にてラジオ月賦店「鈴や」を創業[5]。鈴やはやがてボランタリー・チェーン化し「ラジオリンクストア」として展開を開始する[6]。1956年(昭和31年)に東京芝浦電気(東芝)の傘下に入る形で鈴やを発展的に解消し、新たに東京家庭電器株式会社を設立し、社長に就任する。
しかし、次第に強まっていった店舗の東芝色に違和感を覚え、2年後の1958年(昭和33年)に独立し「第一家庭電器株式会社」を創業。社名には「あらゆる家庭電化製品を売ることを第一に」、「第一に皆様の家庭にご奉仕する」といった意味が込められているという[7]。
当初は本拠地だった新橋の他、川崎、秋葉原、新宿に出店[8]。特に秋葉原界隈には5店舗を構えたが、シェア拡大に限界を感じ1962年(昭和37年)には三鷹市に出店[9]。以降、郊外出店を進めていき、第一家庭電器を1970年代を通じて日本随一の規模の家電量販店に成長させた。
1972年(昭和47年)、家電量販業界への貢献により藍綬褒章を受章。業界内では全日本電気大型経営研究会(全日電)の会長を務めたほか、全日電の後身にあたる日本電気大型店協会の名誉会長も務めた。1974年(昭和49年)に第一家庭電器の社長を退き、同社の会長に就任[10]。同年、千葉県立図書館等への寄付により紺綬褒章を受章。
1975年(昭和50年)2月22日、喉頭癌のため67歳で死去[11]。晩年の8年余りは病のため入退院を繰り返していた[12]。
1976年(昭和51年)2月18日、第一家庭電器から永長左京追悼集が発行された[13]。
著書
関連書籍
- 第一家庭電器『永長佐京の歩み : 第一家庭電器株式会社十年史』第一家庭電器、1971年。全国書誌番号: 73009599。
- 森下節『青雲の人 : 永長佐京外伝』風来社、1973年。
- 『永長佐京追悼集』第一家庭電器、1976年。
出典
- ^ 永長 1975、32頁
- ^ 永長 1975、37頁
- ^ 永長 1975、42頁
- ^ 永長 1975、44頁
- ^ 第一家庭電器 1971、46頁
- ^ 第一家庭電器 1971、52頁
- ^ 第一家庭電器 1971、73頁
- ^ 第一家庭電器 1971、79頁
- ^ 第一家庭電器 1971、81頁
- ^ 永長 1975、79頁
- ^ 「永長 佐京氏(訃報記事)」『日本経済新聞』日本経済新聞社、1975年2月23日、19面。
- ^ 永長 1975、9頁
- ^ 村内伸弘 (2015年10月29日). “村内壽一「2000年年頭にあたって」 & 第一家電創業者 永長左京「寸語録」”. ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログ. 2017年10月27日閲覧。
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