震源域についての問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:40 UTC 版)
この地震には大津波が伴っていたと推定されてはいるものの、歴史記録から津波記録や西日本の広い範囲の強震記録が確認されておらず、南海道沖の地震であろうと思われるが断定するには問題が多いとされていた。 本地震を永長東海地震と対をなす南海地震と考えるには、日付の誤記、また阿波の『太龍寺縁起』が永長地震に関する記述があるにも関わらず康和地震に触れていないなどいくつかの疑問点が残り、また1096年永長地震が震源時間の長い多重地震を思わす長時間の地震動の記録があることから南海道沖の地震を含んだ宝永型であった可能性を検討する必要もあるとされる。 また、『中右記』には永長地震前後から康和地震頃にかけて地震の記録が見られ、康和地震以降も引き続き『後二条師通記』、『本朝世紀』、『中右記』などに地震の記録が現れるが、永長地震後のような活発な余震活動は見られないとされる。石橋(2015)は、本地震は南海地震では無く、永長地震が東海地震に加えて南海地震をも含む連動型地震であるとする作業仮説を立てた。 さらに石橋(2016)は、『広橋本兼仲卿記』の紙背文書は地震からかなり年月の経過した13世紀後半頃に作成された可能性があり、神田(1968)が唱えるような土佐から提出された文書の可能性は低いとしている。また、紙背文書の年月の誤記は康和元年でなく嘉保三年と混同された可能性もあり、永長地震が南海地震を含むものであった可能性があるとしている。
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