震源断層
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地震により、石廊崎から北西方向へ延びる長さ約5.5kmの石廊崎断層が出現した。破壊過程は約11秒間で進行し、地震モーメントは7.6 × 1018N・mである。くい違い量は断層面中央付近の数kmより深い領域では1.2m - 3mと大きく、浅い領域では断層面の南東端付近を除いて0.5m以下と小さい。地表に出現した石廊崎断層は観測された地表地変から、西北西-東南東の走向で北落ちの右横ずれ断層で横ずれ量30cm、たてずれ量15cm と考えられる。また、平行して長さ約1kmの石廊崎南断層、石廊崎北断層も出現した。
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震源断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:56 UTC 版)
「神城断層」を参照 地殻変動のデータなどから、この地震により破壊した震源断層の長さは約20kmで、白馬村と小谷村に跨る総延長約31kmの神城断層の北側の部分が活動したと考えられている。また、約9kmにわたって断続的に地表地震断層が確認されている。1996年に地震調査委員会が公表した評価によれば神城断層は約26kmとされていたが、その後の調査により北側にも断層の存在を示唆する地形や重力変化があることが分かり、神城断層の範囲を北側に延長する検討を行っていた段階だったという。地震後に観測された地殻変動と余震分布の解析から、神城断層の東を併走する小谷・中山断層も同時に活動していた可能性が高い事が報告されている。 地震調査委員会は発生翌日の11月23日に臨時会を開いて地震活動評価を発表し、この地震は「神城断層の一部の活動による可能性が高い」が、今後の追加調査により更に検討を行う必要があると報告した。この段階では、神城断層の総延長26kmのうち一部分(15kmより短い)が動いたとみられていた。約2週間後の12月9日、地震調査委員会は改めて地震活動評価を発表し、「神城断層の一部とその北方延長が活動した」と推定した。 11月23日に信州大学の広内大助らが行った現地調査では、白馬村の大出地区など20か所程度で地表地震断層の段差と褶曲が確認された。塩島地区では東側が最大で90cm隆起しており、白馬村塩島地区から大出地区にかけて長さ2kmに渡って断続的に分布している。この、塩島地区に出現した地表断層は姫川第二ダム建設以降に生じた洪水により埋没していたため既知の断層トレース線上にはなかった。また、東北大学災害国際研究所の調査では更に長く延びていることが確認されており、地表地震断層は南神城駅の東方から信濃森上駅の東方までの総延長約9kmにわたることが確認された。なお、神城三日市場地区以南では、顕著な地表変位は出現しなかったとされている。
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震源断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 09:44 UTC 版)
震源断層は判明しておらず、以下の通り幾つかの説がある。岡田 (2011)によって、2010年以前の本地震に関する地震像研究がまとめられている。 飛騨の庄川断層または阿寺断層とする説 養老断層及び伊勢湾断層とする説 これらの断層が連動したとする説 養老-桑名-四日市断層帯などの三つの大断層が動いたとする説 1998年に行われた地質調査では、岐阜県にある養老断層における2つの活動歴が確認され、最新の活動は15世紀以降であることから745年天平地震と共にこの断層が震源断層のひとつであった可能性が高くなったとされている。 松浦 (2011)は明確に被害が大きかったと推定されるのは、庄川沿いの谷筋(帰雲城)から越中西部(木船城)と、濃尾平野の南西部(長島城・大垣城)から琵琶湖北東岸(長浜城)と分かれているとして、1586年1月16日に庄川断層帯北部でM7.0±0.2の地震が、翌々日18日に養老断層とその周辺の断層帯の一部でM7.9±0.1の地震が発生したと考察しており、伊那谷における大規模斜面崩壊は養老断層による地震か、或いは本地震の半年前(1585年7月31日)に発生した地震によるものではと推考している。また、松浦 (2012)はフロイスの『日本史』における若狭の長浜における津波被害の記述については信憑性が低いとした。 寒川 (2011)は史料による被害地域と、トレンチ調査で同年代に最新活動が見られる断層として、本地震では庄川断層帯と阿寺断層帯の全体と、養老-桑名-四日市断層帯が活動したと考察した。 関西電力ほか (2012)は、フロイスの津波被害の記述は地すべりで琵琶湖に沈んだ長浜市の下坂浜千軒遺跡であることを示唆しており、本地震によって若狭湾沿岸で町が壊滅するほどの津波発生はなかったとしている。 松岡ほか (2015)は本地震による伊勢湾沿岸及びその周辺での津波発生を示す信憑性が高い史料はないとした。
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震源断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:41 UTC 版)
跡津川断層が活動した証拠は多くの調査で得られている。しかし、地震の規模と断層長の関係式から得られる想定規模(M8クラス)と宇佐見による規模(M7クラス)に乖離が生じている。つまり、この地震は跡津川断層全体の活動ではなく、一部セグメントの活動であった可能性が指摘されている。例えば、片川ほか(2002)は真川流域に出現している断層露頭から、19世紀の活動痕跡を見出す事ができず、跡津川断層東端付近では地表に震源断層は出現していなかったとしている。一方、道家(2009)は岐阜県飛騨市神岡町佐古において発見された未報告の断層露頭の年代測定結果から、飛越地震の際に断層変位を生じていた結果を得たとして跡津川断層全体の活動説を支持している。
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震源断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 04:32 UTC 版)
両白山地から濃尾平野北方にかけて位置する濃尾断層帯のうち、根尾谷断層帯、梅原断層帯、温見断層北西部が活動をした。活動域は福井県境(福井県池田町野尻)付近から岐阜県を経て愛知県境(可児市古瀬)にまで及び、北北西―南南東方向に総延長約76kmの断層が出現した。地表の変位は両端ほど垂直成分が多く中央部では水平成分が多くなり、根尾谷断層に沿って水平変位は最大で7.6mを記録している。根尾村水鳥(みどり)地区での根尾谷断層は上下差6m横ずれ量4mにも及び、複数の撮影者によって発生直後に写真が記録されている。それらの写真のうち、世界的に有名な小藤文次郎の論文に掲載された写真の撮影者には瀬古安太郎、小川一真、日下部金兵衛など複数の名前が挙げられている。 この地震活動により、福井県境付近から岐阜県を経て愛知県境の断層に加え、地表には現れていないものの分岐する岐阜 - 一宮断層など、合計5個の断層が動いたと仮定する震源モデルが提唱されており、合計の地震モーメントは M0 = 1.5×1020N・m (Mw 7.4) と推定されている。 北北西方向への延長線上には、1948年の福井地震を引き起こした福井地震断層が存在するほか、南南東方向への延長線上は1945年三河地震の深溝断層方向と同一である。
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震源断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 02:40 UTC 版)
発震機構は横ずれ断層型。既知の断層の活動によるものではなく、未確認の地下断層の活動による地震であった。地表には地下の変位に伴い複数の地割れが現れた。 余震域は本震の震源断層に沿って分布し、島根県安来市から鳥取県日野郡まで、南南東 - 北北西方向に長さ約30 km、深さは約15 kmまでに分布している。 この地震に先行し断層の深部延長線上で1989年、1990年、1997年にはM5程度の群発的地震活動が発生している。また、本震発生の約12時間前には、震源域でM1.7が観測されている。トレンチ調査により前回の活動は、西暦800年 - 1200年であることが判明した。
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震源断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 05:52 UTC 版)
1988年に大宰府の上津土塁の調査を行っていた久留米市教育委員会によって、上津土塁の一部が滑り落ちて8世紀後半の版築土で修復された痕跡が発見された。その後、7世紀後半頃の墳砂痕、三井郡北野町(現・久留米市)の古賀ノ上遺跡の地割れおよび墳砂痕など続々と地震痕跡が発見された。 1992年には、水縄断層帯を構成する追分断層上にある山川前田遺跡において粘土層と姶良Tn火山灰層(2万数千年前)の2mの食違いが発見された。追分断層のトレンチ調査から、2万5千年の間に3回の水縄断層の活動と見られる地震痕跡が発見され、これらの内最新の活動は6世紀以降、13 - 14世紀以前と推定された。この間の九州北部の顕著な地震記録は679年の筑紫地震のみであり、周辺の地震痕跡が7世紀後半に集中する事から最新のものは筑紫地震の痕跡と推定される。この水縄断層系の総延長は東西約20km、活動度は年間変位が0.1 - 1.0mm程度、右横ずれの応力を持つ正断層と推定されている。 2015年には、水縄断層上に位置する益生田古墳群(久留米市田主丸町益生田、6世紀後半の築造)のうちで、円墳4基が筑紫地震による倒壊被害を受けたと見られる状態で発見された。
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