建物・施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:56 UTC 版)
住家倒壊の多くは震央に最も近く地表震源断層が出現した白馬村大出地域では無く、顕著な地表断層が出現していない震央から南側に約3kmの堀ノ内地区・三日市場地区に集中していた。塩島地区や大出地区の地表震源断層に隣接する家屋での倒壊がほとんど見られないことから、後藤(2014)らは地震波の伝播する経路や地盤構造の違いにより地震動が増幅され被害に差が出た可能性があるとした。一方、廣内(2015)らは堀之内地区に被害が集中した原因は軟弱な地盤によるものではなく、複数列生じていた副次的な断層による複雑な変位帯に位置したためとしている。 小谷村では、住宅の損壊により居住困難になっているとして、11月23日16:30に中土地区の31世帯69人に避難勧告が出された。その後28日までに、北小谷、中土、南小谷の各地区で合わせて、40世帯81人に避難指示、110世帯258人に避難勧告が出され、12月20日時点でその大半が継続している。白馬村では12月9日、土砂崩落の恐れのため堀之内地区で11世帯26人に避難指示が出された。 長野市では灯油貯蔵用のホームタンク転倒が多数報告されていたほか、善光寺では石灯篭の倒壊や仲見世通りの商店での商品被害が発生した。ただし、広い長野市内では地域により被害に差があり、瓦の落下や窓ガラスの破損などのあった地域がある一方、被害がほとんど無かった地域もある。このほか、震源から約30km離れた信濃町でもホームタンクからの灯油漏れや、震源から約50km離れた中野市では、ビニールハウス用暖房燃料の重油配管が破損して1,000Lの重油漏れが発生したと報道された。
※この「建物・施設」の解説は、「長野県神城断層地震」の解説の一部です。
「建物・施設」を含む「長野県神城断層地震」の記事については、「長野県神城断層地震」の概要を参照ください。
建物・施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 08:46 UTC 版)
地震の際避難した人で溢れた警固公園(上は2009年、下は2013年撮影)。その後2012年に改修工事が行われ、見通しのよい広場が整備された。 玄界島、能古島、糸島半島北端の西浦地区・宮浦地区、東区の志賀島など、沿岸の集落で住宅被害が目立った。特に、玄界島では住宅の全壊率が5割に達した。志賀島北部の勝馬地区でも、玄界島に匹敵する被害となった。能古島では2人が負傷し、住宅1棟が一部損壊の被害を受けた。また、震源から東側の玄界灘にある大島(当時大島村、現宗像市)では、住宅8棟が一部損壊の被害を受けた。玄界島では仮設住宅200戸が建設され、島全体を区画整理したうえで住宅の復興事業が行われた。また、志賀島で16戸、西区北崎で11戸、能古島で3戸、それぞれ仮設住宅が建設されている。 玄界島や志賀島などで被害が大きかった背景には、震源に近かったことに加えて、急傾斜地に建つ住宅が多いという土地条件が影響していたと見られている。実際に、切土・盛土の造成地付近の建物で大きな被害が見られた。ただし、屋根の被害を中心として古い木造住宅で被害が目立つ一方、比較的新しい住宅では被害が軽い傾向にあった。この背景として、木造住宅において耐震性確保のために必要な壁の量を定める建築基準が1950年から1981年にかけて次第に厳しく改正されてきており、古い住宅では壁の量が少なかったであろうことが考えられている。 福岡市中心部の長浜、舞鶴、博多駅前、百道浜周辺の中高層ビルを対象に行われたアンケート調査によると、回答のあった約300棟のうち半数前後で棚から物が落下、天井・内壁の剥離や亀裂があった。また約4割で家具類の転倒やエレベーターの停止、約3割でテレビや電子レンジなどの重量物の落下があった。さらに、約1割の建物でガラスの破損や停電・断水などいずれかのライフラインの支障、また扉の開閉が困難になる事例が発生している。オフィスのうち約15%の建物では、業務の停止が発生したという。また、建物内ではより高い階ほど、棚の転倒や重量物の落下の割合が高かった。 福岡市中心部の天神では、商業施設の外壁の一部剥落や看板の落下などの被害があり、臨時休業する店舗が相次いで発生した。一方、地上付近と高層階で揺れ方に差があり、天神地下街では地震後も営業を続けたが、津波注意報の発表を受けて11時半過ぎに営業中止を決めた。このことから、特に同じ組織内で低層階と高層階の両方を有するところでは、気象庁が発表する震度情報に合わせて組織内で対応を一律に決めることが、場合によっては適切ではない可能性も指摘されている。また天神では4月20日の余震でも、地震が通勤時間帯を直撃し出社が遅れる例があったことなどから、開店を数時間遅らせる店が相次いだ。 他方、臨時休業を決めた施設の多くは客を外に避難誘導したため、数少ない広場に人が多く集まった。たとえば警固公園では、一時は100メートル四方ほどの広場が周りを見回せないほどの人で溢れたといい、ただ1つの公衆トイレに長い列ができる事態も発生した。福岡市役所前の広場にも数千人が集まり、携帯電話で連絡を取ろうとする人が目立ったという。しかし、交通機関の多くが早期に再開したことから、帰宅困難者問題が深刻化することはなかった。 福岡市内ではエレベーターへの閉じ込めが20件発生し、消防や管理会社により29人が救助された。また同じく福岡市内でドアの閉塞による建物への閉じ込めが17件発生し、自力で脱出したものを除くと消防により8人が救助されている。 ブロック塀の崩落・倒壊も相次ぎ、福岡市中心部で行われた調査では全体の4%が倒壊した。補強用の鉄筋や基礎の構造などに欠陥のある塀が倒壊しており、特に無補強のレンガ塀は3割以上が倒壊した。また、老朽化により鉄筋が腐食したりひび割れが生じたりした古い塀で倒壊が多かった。さらに、地域別では警固断層付近やその東側で倒壊が多く、南北方向に倒壊したものが多かったという。 福岡市を中心にマンションの損壊も発生し、新耐震基準に基づいて設計されたものでも壁のひび割れなどの被害が見られた。福岡市ではマンション9棟が半壊、約100棟が一部損壊の被害となった。 そのような中、マンション共有部分の地震保険未加入による問題や、住民の被害感覚に比べて地震保険の査定基準が厳しいという問題も発生した。当時の福岡県のマンションは共有部分の地震保険加入率が2割と低く、自力再建を余儀なくされたところが多かったのである。対策として福岡市、春日市、筑紫野市などが共有部分の修復のための借入金について、利子補給を行う制度を創設している。一方で、地震保険に加入していた場合でも、被害の査定はあくまで構造耐力上主要な部分である柱や壁などを対象としているため、非構造壁や廊下などに亀裂があって被害を受けているように見受けられても、支払対象にならない場合があった。 能古島では、地震により裏手の山から10トンを超える巨岩が落下し、住宅を直撃した。住宅は損壊したが、住人は揺れの直後に外に避難していて無事だった。 4月20日の余震では、玄界島で半壊状態だった住宅が全壊したほか、須恵町で火災が1件発生した。 被災した建物に対する被災建築物応急危険度判定は3月28日までに2,959件実施され、460件が「危険」、1,023件が「要注意」と判定されている。なお、4月20日の余震後にも新たに81件実施されている。また、法面や擁壁を含む宅地における被害発生状況の把握により二次災害を軽減、防止することなどを目的とする被災宅地危険度判定は3月28日までに380件(うち169件が玄界島)実施され、160件が「危険」、123件が「要注意」と判定されている。 長崎県内では、壱岐市で2人が負傷し住宅1棟が全壊したほか、対馬市でも住宅1棟が一部破損の被害を受けた。 佐賀県内でも、住宅の壁にひびが入ったり学校の窓ガラスが割れる被害があった。特に有田焼は組合加盟社の4分の1にあたる約60社で揺れによる落下被害が発生し、地震対策を行っていなかったところもあり、約4,000万円近くの被害が出た。 玄海原子力発電所では、震度4相当の揺れを観測したが自動停止の基準には満たず、異常もなかったため通常運転を継続した。 韓国では、大きな揺れが感じられた釜山でデパートの客が避難する騒ぎとなったり、エレベーターの停止が発生したりしている。また地震によるものかは不明だが、慶尚南道の統営市で地震直後に火災が発生し木造店舗1棟が全焼した。
※この「建物・施設」の解説は、「福岡県西方沖地震」の解説の一部です。
「建物・施設」を含む「福岡県西方沖地震」の記事については、「福岡県西方沖地震」の概要を参照ください。
建物・施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/27 06:35 UTC 版)
「安堵町歴史民俗資料館」の記事における「建物・施設」の解説
本館(旧今村邸母屋) 明治20年に改装。大和民家様式の和風建築。木造2階建て。幕末に尊攘派として大和において天誅組らを支援した今村文吾、1887年(明治20年)に大阪府より奈良県を独立・再設置に導いた運動家、今村勤三や大阪帝国大学第5代総長・文化功労者、今村荒男氏らの生家。平成3年寄贈。館内は各種展示室となっており、茶室(6畳)も利用可(有料)。 米蔵 - 江戸時代後期造。 表門 - 弘化4年(1847年)造。東側は事務室。 茶室(表門西) - 弘化4年(1847年)造。4畳半。利用可(有料)。 庭園 - しだれ桜(勤三桜)、今村勤三翁顕彰碑。
※この「建物・施設」の解説は、「安堵町歴史民俗資料館」の解説の一部です。
「建物・施設」を含む「安堵町歴史民俗資料館」の記事については、「安堵町歴史民俗資料館」の概要を参照ください。
建物・施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 07:44 UTC 版)
「アルカトラズ (曖昧さ回避)」の記事における「建物・施設」の解説
アルカトラズ連邦刑務所 - アルカトラズ島にかつて存在した連邦刑務所。 アルカトラズ要塞(英語版) - アルカトラズ島にかつて存在した軍事要塞。 米懲戒兵舎太平洋支部 - アルカトラズ島の軍事矯正施設。 アルカトラズ島の灯台(英語版) - アルカトラズ島の南端、刑務所の入り口付近に位置している灯台。
※この「建物・施設」の解説は、「アルカトラズ (曖昧さ回避)」の解説の一部です。
「建物・施設」を含む「アルカトラズ (曖昧さ回避)」の記事については、「アルカトラズ (曖昧さ回避)」の概要を参照ください。
建物・施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 07:32 UTC 版)
本館 - 1974年に竣工。大和民家様式の和風建築。館内は企画展示室、資料図書室、休憩室など。 土蔵 - 生家の建物で、安永年間(1772年~1780年)築。大和時代の作品を展示。 土蔵(陳列室) - 1914年築の土蔵を大阪市内から移築。1Fに東京時代の作品、2Fに京都時代の作品を展示。 離れ - 生家の建物で、安永年間築。 長屋門 - 生家の建物で、安永年間築。
※この「建物・施設」の解説は、「富本憲吉記念館」の解説の一部です。
「建物・施設」を含む「富本憲吉記念館」の記事については、「富本憲吉記念館」の概要を参照ください。
建物施設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 05:57 UTC 版)
本堂 本堂に入ると正面には、釈迦如来の仏像と薬王菩薩、韋駄天の聖像、左側は対比仏像を祀ってある。この寺は法会を行い、仏弟子を接見する場所である。 観音殿 観音殿は、本堂の右側にあり、観音菩薩の立像と因海長老の神秘的な画を祀ってある。
※この「建物施設」の解説は、「聖蹟寺」の解説の一部です。
「建物施設」を含む「聖蹟寺」の記事については、「聖蹟寺」の概要を参照ください。
- 建物・施設のページへのリンク