東京時代とは? わかりやすく解説

東京時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 08:57 UTC 版)

東京時代(とうきょうじだい)とは、日本の歴史における時代区分で、1869年(明治2年)の東京奠都に伴い東京東京都)が事実上の首都となってからの日本を指す呼称として考え出された概念の一つである[1]

背景

この「東京時代」という語は、後に静岡県知事となった川勝平太が、自著『経済史入門』(日本経済新聞出版社「経済学入門シリーズ」)中で唱えている語である。川勝は「明治維新より前は政権所在地で分けているのに、明治維新以後は元号というのはおかしい。[2]」と述べている。

日本の歴史において、明治維新特に明治天皇によって一世一元の詔が発布され、所謂「一世一元の制」が確立した1868年慶応4年/明治元年)以後の時代区分を、「明治時代明治天皇)」「大正時代大正天皇)」「昭和時代昭和天皇)」「平成時代上皇)」「令和時代今上)」などと、元号で時代を区分する例が、特に学校教育に多い。

しかし、明治維新前は「平安時代」「鎌倉時代」「江戸時代」といった政権所在地にちなんだ名称や、「王朝時代」「武家時代」「戦国時代」「織豊時代」「徳川時代」のように政治体制(国家王朝政体憲法主権[3])の変遷や時代的特徴に因んだ名称[4] が多い。

従って、明治維新及び東京奠都以後は、政権所在地が東京であるから「東京時代」として一括されるべきではないかという内容である。明治維新以後の日本での歴史の一括表現として、(大正末期より昭和初期までの「大大阪時代」を例外とすると)「東京時代」という名称が用いられる可能性があると考えられている。

ただし、日本の歴史における時代区分に対して、学校教育における外国史の時代区分では、中国の歴史だと「朝」「朝」、ドイツの歴史だと「ドイツ帝国」「ヴァイマル共和政」「ナチスドイツ」、フランスの歴史では「フランク王国」「フランス国」「第五共和政」というように、政治体制の変遷にちなんだ時代区分が多い。この方法に従う場合、第二次世界大戦の終結(1945年)を境にして、その前と後とでは、国号・憲法・主権者といった政体が全く違っているため、まとめて「東京時代」とは呼びにくい問題がある[5]

この場合、政体の転換点となった第二次世界大戦に着目して、大日本帝国憲法下の時代は「戦前」「戦中」、日本国憲法下の時代は「戦後」と呼ばれることが多い。なお、憲法名や国号にちなんで、「戦前」ではなく「大日本帝国」、「戦後」ではなく「日本国」と呼ぶ書籍もある[6][7]

こうした時代区分法は、現在から過去の歴史を見て区分する方法であるが、時代の変遷により、現在の時代区分の枠組みが変化する可能性もはらんでいる。例えば、東京から外の都市に遷都(首都機能移転)した後の時代や、東京が別の都市名に変更した後の時代は、必然的に「東京時代」とは別の名称となってしまう。

川勝は提唱すると同時に、東京時代は既に終わったとして「西洋文明を受容する時代は終わりました。室町時代が終わったように、東京時代も終わったのです。そうすると、新しい日本の形をどういうふうにしてあらわすか、という段取りになります。」と述べている[2]

旧来の時代との違い

「東京時代」の特徴として、川勝は「東京は西洋文明変電所」という点を挙げている[2]

旧来の時代の特徴を見ると、奈良平城京)や京都平安京)が首都だった時代、特に安土桃山時代までは、奈良や京都といった政権所在地が、東洋文明を受け入れてその終着地になって来た。

江戸時代は、対中国と対オランダと対李氏朝鮮と対琉球と対蝦夷を除いて鎖国されており、徳川幕府の政権所在地である江戸は、「外国文明を日本全域に波及させる場所」とはならなかった。

しかし、東京が首都となった明治時代以後の日本を見ると、主に東京が西洋文明を受け入れる窓口となり、受け入れた西洋文明が東京で日本化され、日本化された西洋文明が東京から全国に波及した。そして、日本化された西洋文明を求めて、人々が東京に集まった。これらを象徴するキーワードが、1870年代の「文明開化」や、1960年代の「あゝ上野駅」である。

脚注・出典

  1. ^ しかし、東京遷都の詔が出されておらず「東京奠都」(新たに都を建てる)であって「京都」は都としての価値を消失しておらず、また「東京(東の京)」という命名からも意味する様に、「東京は天皇が一時的に行幸(旅行)されているに過ぎず、いずれ京都にお戻りになられるおつもりであろう」とする意見も京都府民を中心に根強くある。
  2. ^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞 川勝平太2004年10月12日講演録
  3. ^ 但し憲法制定以前は「主権者」の概念はなかった
  4. ^ 室町時代を「足利時代」、江戸時代を「徳川時代」と呼ぶ例も、政権を握っている王朝にちなんだ時代区分である。ただし江戸時代(=徳川時代)を見ても、江戸時代の中の細かい区分として「元禄」「享保」「化政」「幕末」といった元号や世相に則った名称も用いられている。
  5. ^ 地球の裏側から日本を見て 2004年2月5日「日本の時代区分」
  6. ^ 由井正臣著、岩波ジュニア新書『大日本帝国の時代―日本の歴史〈8〉』
  7. ^ 斎藤彰「大日本帝国時代の教育」

関連項目

外部リンク

「東京時代」という語を用いているサイトを紹介する。


東京時代(70年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:01 UTC 版)

裸のラリーズ」の記事における「東京時代(70年代)」の解説

70年後半水谷東京移り長田幹夫ベース) 、正田俊一郎(ドラムス)と「東京版ラリーズ」を編成71年には久保田麻琴サポート的に参加し、「精進湖ロックシーン」などのイベントへの出演行ったという。72年にはギター中村復帰また、この年6月開店した吉祥寺のロック・ハウス"OZ"が裸のラリーズ出演ブッキングし、同店の主催裸のラリーズのホール・コンサートが企画されるなど、バンドへのバックアップなされてくる。 "OZ"は73年9月には閉店するが、店のスタッフバンドマネジメント務め裸のラリーズ始め同店に縁のあるアーティスト集めたOZ YAA HOUSE」(74年4月福生市民会館)などのコンサート企画運営した。なお、"OZ"は閉店直後オムニバス2枚組LPOZ DAYS LIVE』を製作し、第4面裸のラリーズライン録りのテイクが4曲収録された。その中には、彼らに特有のものとされるサイケデリックな爆音ロックを、この頃から展開し始める事を窺わせるナンバー含まれている。 70年代半ばにはいわゆるメジャーへの参入目的としないアーティストたちによるコンサートヒッピー系の人脈によって企画されイベントなど参加し、また都内開店し始めたライヴ・ハウスで主に単独公演行っている。76年には、音楽評論家間章仲介によりイギリスヴァージン・レコードからアルバムを出すというプラン組まれ都内スタジオでレコーディングが行われたが実現には至らなかったという。この頃メンバードラム正田から高橋シメ、さらに三巻俊郎へと代わりベース長田から楢崎裕史(ヒロシ)に代わった。後にアルバム『'77 LIVE』に収められることとなる77年3月立川でのパフォーマンスは、この水谷中村楢崎三巻という顔ぶれよるものである。78年11月コンサートからはギター中村抜けベース三巻ドラム野間幸道に交代。更に翌79年にはベースに"OZ"のエンジニアだったDoroncoが加入三巻ギター転向後、同年末に脱退

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「東京時代(70年代)」を含む「裸のラリーズ」の記事については、「裸のラリーズ」の概要を参照ください。

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