地震後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:59 UTC 版)
1586年の天正大地震後、近い時期に大地震が複数起こっている。 1596年9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0。 1596年9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8。 1596年9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震) - M 7.0〜7.1。 1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震(東海・東南海・南海連動型地震) - M7.9〜8。 1608年12月30日(慶長13年11月23日) 仙台で地震 - 津波で50人死亡[49]。 1611年 9月27日(慶長16年8月21日) 会津地震 - M 6.9、死者3,700人。 1611年12月2日(慶長16年10月28日) 慶長三陸地震 - M 8.1。 1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震- M 7.7 ...同じ日に日本海側の越後高田領と太平洋側の伊豆、銚子の両方の津波記録がある他、京、会津、伊豆、紀伊、山城、松山の地震被害記録があり、これらの記録を満足する単一の地震はあり得ないとされる。 1662年 6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M 7 1/4〜7.6、死者数千人。 朝鮮出兵のために肥前の名護屋にいた秀吉が伏見城を築いた際、1592年(文禄元年)に普請を担当した京都所司代の前田玄以に送った書簡に、「ふしみのふしん、なまつ大事にて候まま」と記されていた。“なまず大事”=城の建築にあたっては地震対策を万全にせよ、という意味であるが、これは1586年の天正地震を念頭に置いたものとみられている。 日本原子力発電などによる2012年12月の発表では、天正地震の津波の記録を基にした調査により、敦賀市の猪ヶ池で約5,500年前の地層から津波によるとみられる砂が見つかった。
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