おゆどののうえのにっき〔おゆどののうへのニツキ〕【御湯殿上日記】
御湯殿上日記
読み方:オユドノノウエノニッキ(oyudononouenonikki)
御湯殿上日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 05:21 UTC 版)
御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき・お湯殿の上の日記)とは、御所に仕える女官達(内侍司の典侍、内侍など)によって書き継がれた当番制の日記。
注釈
- ^ 『言継卿記』天文17年1月12日(1548年2月21日)条によれば、後奈良天皇がある件について調べるために過去の『御湯殿上日記』を調べたところ、そこが亡き父である後柏原天皇の直筆の部分であったことが記されている[3]。
- ^ 『薩戒記』応永32年11月6日(1425年12月15日)条において、後小松院が記主の公家・中山定親に対し、宮中のことは女房が扱ってはいるが、それを記録できる者がおらず、自身が記録していたが、度重なる火災で失ったことを嘆く記述がある。この時期には『御湯殿上日記』が存在していなかった可能性が高く、松薗斉は後小松院の没後に宮中を主導した後花園院が宝徳2年(1450年)前後に開始したとする説を提示している[4]。
- ^ 文献は他に御湯殿上日記研究会『お湯殿の上の日記の研究 宗教・遊芸・文芸資料索引』(続群書類従完成会、1973年)がある。
出典
- 1 御湯殿上日記とは
- 2 御湯殿上日記の概要
- 3 概説
- 4 脚注
御湯殿上日記と同じ種類の言葉
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