承仁法親王とは? わかりやすく解説

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承仁法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 18:21 UTC 版)

承仁法親王(しょうにんほっしんのう、仁安2年(1167年)-建久8年4月27日1197年5月15日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての法親王後白河天皇の第8皇子。母は遊女丹波局(『華頂要略』所収の「天台座主記」には、丹波局を紀孝資の娘とするが根拠不明、『山槐記』安元元年8月16日条に丹波局は実は遊女であったと記されている[1][2])。初名は最恵。建久宮・梶井宮とも称される。


  1. ^ a b c d 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P28-30・213-214.
  2. ^ a b 海野泰男『今鏡全釈』下巻、福武書店、1983年、P378-379.
  3. ^ 山内益次郎『今鏡の研究』、桜楓社、1980年、P90-91.
  4. ^ a b c d e f 河野房男「承仁法親王」『平安時代史事典』
  5. ^ 『玉葉』安元2年11月2日条。なお、3日前(10月29日)には平時忠によってもう一人の皇子(後の道法法親王)も内裏に召されたと記されている。
  6. ^ 田中徳定「後白河天皇」志村有弘 編『天皇皇族歴史伝説大事典』


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