コロンバンガラ島守備隊救出「セ」号作戦
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種子島は1942年(昭和17年)12月15日附で、第四水雷戦隊(司令官高間完少将)麾下の第2駆逐隊・白露型3番艦「村雨」駆逐艦長に補職される。1943年(昭和18年)2月上旬、「村雨」はソロモン諸島に進出。3月5日、第2駆逐隊司令橘正雄大佐の指揮下、駆逐艦2隻(村雨、峯雲)はブーゲンビル島ブイン基地に輸送を実施する。帰路、ビラ・スタンモーア夜戦において米駆逐艦群のレーダー射撃攻撃を受け、2隻とも沈没。種子島は自力での20時間の漂流の末、コロンバガラ基地に収容された。 内地帰還、横須賀鎮守府附を経て第一輸送隊長に就任。当時米軍の猛攻の前に玉砕寸前だったコロンバンガラ島守備隊12000名を一隻の護衛艦艇もない状況の中で大発艇100隻で救出し、200km離れたブーゲンビル島に撤収させる「セ」号作戦を成功させた。
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