コロンビアとしての独立とアメリカ合衆国の関心とは? わかりやすく解説

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コロンビアとしての独立とアメリカ合衆国の関心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 18:32 UTC 版)

パナマの歴史」の記事における「コロンビアとしての独立とアメリカ合衆国の関心」の解説

近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立」も参照 1808年に、フランス帝国ナポレオン・ボナパルトが兄のジョゼフスペイン王ホセ1世据えると、それに反発する住民暴動から、スペイン独立戦争勃発インディアス植民地ホセ1世への忠誠拒否し独立のための戦い始まったベネスエラカラカス出身解放者シモン・ボリーバル不屈の闘争の末に、1819年8月ボヤカの戦い勝利してヌエバ・グラナダ解放すると、1821年にはカラボボの戦い (1821年)(英語版)に勝利しベネスエラ解放不動のものにした。同年11月28日パナマボリーバル主催する大コロンビア一部としてスペインから独立した1826年にはボリーバル呼びかけ米州相互防衛将来的統一訴えパナマ議会スペイン語版英語版)がパナマ市開催されたが、この会議失敗終わったコロンビアによる支配への不満から反乱発生するようになった1830年ボリーバル失脚してベネスエラのホセ・アンオニオ・パエスがベネスエラ共和国グラン・コロンビアから独立宣言すると、それまで南部地区」と呼ばれていたキトグアヤキルクエンカエクアドル共和国として独立宣言し最後に残ったヌエバ・グラナダラファエル・ウルダネータ将軍1831年失脚したために、ヌエバ・グラナダ共和国グラン・コロンビアからの独立宣言しパナマヌエバ・グラナダ一部として独立した。こうしてボリーバル目指しラテンアメリカ統合の夢と共にグラン・コロンビア崩壊し解放者敗北して死んだ1846年アメリカ合衆国は、パナマにおけるヌエバ・グラナダ共和国(ほぼ現在のコロンビア共和国に相当)の主権承認することでパナマ地峡通行権獲得したアメリカ合衆国米墨戦争メキシコから北半分領土奪い1848年カリフォルニアゴールド・ラッシュ始まった1840年代以降アメリカ合衆国東部人々オレゴンカリフォルニア等のアメリカ合衆国西岸への移住パナマ地峡利用し交通の要衝としてのパナマ重要性高まった1848年アメリカ合衆国会社が、パナマ・コロン地峡横断鉄道敷設獲得した1850年着工したパナマ・コロン鉄道敷設工事は、1855年完了した1855年パナマヌエバ・グラナダから自治権獲得した1863年グラナダ連合リオ・ネグロ憲法制定され八州が独自の外交権を持つ分権的な連邦国家コロンビア合衆国成立すると、パナマ連邦一州として実質的な独立達成したが、1866年に再びコロンビアによる直接支配復活したパナマではコロンビア対す反乱頻発するいずれも失敗終わったスエズ運河建設携わったフランス人技師レセップスは、コロンビアから運河建設買い取り1881年から1889年までパナマ運河建設進めたが、技術的な問題伝染病蔓延、さらに資金調達失敗したこと等により建設中止された。この過程運河建設のためにカリフォルニアから中国人労働者クーリー)やジャマイカから英語を話す黒人労働者フランス領セネガルからアフリカ人労働者ヨーロッパからイタリア人労働者などが導入された。 1885年自由党反乱鎮圧した保守党のラファエル・ヌニェス(スペイン語版英語版)によって1886年リオ・ネグロ憲法放棄新憲法制定され中央集権色の強いコロンビア共和国成立した。こうして一時的に不安定なコロンビアにも保守党による支配権確立したが、1894年ヌニェス死去すると、1899年自由党カウディーリョだったラファエル・ウリベ・ウリベ(スペイン語版英語版将軍蜂起し千日戦争勃発したこの内戦は1902年まで続き、およそ10万人の死者出した一方アメリカ合衆国では、1890年海軍大学教官であったマハンが『海上覇権論』においてカリブ海地中海比較しアメリカ合衆国国防観点から、地中海スエズ運河あるようカリブ海にも運河が必要であるとの議論展開した1898年米西戦争契機アメリカ合衆国では、太平洋大西洋をつなぐ運河中米に必要であるとの考え浸透したまた、1901年マハン教え受けたセオドア・ルーズベルトアメリカ合衆国大統領就任しアメリカ合衆国太平洋大西洋をつなぐ運河中米建設することになったアメリカ合衆国では、中米における運河建設計画としてニカラグア案とパナマ案が提示され1902年レセップス設立したパナマ運河会社から運河建設等の権利買い取るパナマ案が議会採用された(スプーナー法)。ただし、新パナマ運河会社コロンビアから運河建設付与された際に、運河建設外国政府譲渡してはならないとの条項があったため、アメリカ合衆国コロンビアは、コロンビアが新パナマ運河会社運河建設アメリカ合衆国売却することを認めること、運河地域排他的管理権等をアメリカ合衆国付与すること、また、アメリカ合衆国一時金1,000ドル及び運河地域年間使用料として25ドルコロンビア支払うこと等を規定したヘイ・エラン条約署名した

※この「コロンビアとしての独立とアメリカ合衆国の関心」の解説は、「パナマの歴史」の解説の一部です。
「コロンビアとしての独立とアメリカ合衆国の関心」を含む「パナマの歴史」の記事については、「パナマの歴史」の概要を参照ください。

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