昭和17年12月から昭和18年前半の戦いとは? わかりやすく解説

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昭和17年12月から昭和18年前半の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:06 UTC 版)

長波 (駆逐艦)」の記事における「昭和17年12月から昭和18年前半の戦い」の解説

海戦には勝利したものの、本来の目的であるドラム缶輸送果たせていなかった。駆逐艦増強し12月3日から4日にかけて増援部隊指揮官田中頼三少将二水司令官指揮下で第二輸送作戦おこなわれた長波をふくめ駆逐艦10隻による輸送では、空襲巻波小破ドラム缶1500個を投入した陸軍が揚収したのは310であったこの頃ショートランド泊地秋月型駆逐艦照月到着した田中頼三少将は、二水戦旗艦を長波から照月変更した12月7日から8日にかけての第三次輸送作戦は、第15駆逐隊司令指揮下で長波をふくめ駆逐艦11隻が参加した往路駆逐艦野分空襲受けて航行不能となり、長波野分曳航してショートランド泊地引き返した。2隻を駆逐艦嵐(第4駆逐隊司令有賀幸作大佐)と有明護衛した魚雷艇米軍機妨害により、輸送作戦失敗終わった12月11日から12日にかけての第四次輸送作戦増援部隊指揮官二水司令官旗艦照月」)の直率下で行われ連合艦隊司令長官山本五十六大将は「今次駆逐艦輸送期待スルトコロメテナリアラユル手段ヲ講ジ任務達成ニ務メヨ」と激励した長波ふくめ駆逐艦11隻で実施するガダルカナル島到着してドラム缶揚陸中、増援部隊米軍魚雷艇襲撃され旗艦照月被雷航行不能となる。田中少将ふくめ第二水雷戦隊司令部長波移乗した。二水司令部退去後、照月自沈した。投下したドラム缶1200個のうち、揚収できたのは220であったという。 12月14日ラバウル後退してからは、ニュージョージア島ムンダ日本軍飛行場建設中)への輸送作戦参加する増援部隊指揮官二水司令官)直率のもと、長波ふくめ駆逐艦6隻は12月16日1400ショートランド泊地出発するムンダ第一回輸送第一次)。夜間空襲を受け、陽炎小破した。翌日0500、ショートランド泊地帰投した。 12月25日13時、駆逐艦卯月輸送船南海丸大阪商船、8,416トン)はムンダに向けラバウル出発したムンダ第二回輸送第四次)。17時30分、セントジョージ岬西南西24浬で米潜水艦シードラゴン雷撃を受け、南海丸損傷する。さらに南海丸卯月衝突卯月航行不能となった駆逐艦4隻(長波有明谷風浦風)は急遽ラバウル出撃救援にむかう。長波鶴見とともに南海丸護衛して避退同船26日15時ラバウル帰投した。 12月30日増援部隊指揮官第二水雷戦隊司令官)は田中頼三少将から小柳冨次少将海兵42期)に代わり引き続き長波二水戦旗艦とした。年明け1943年昭和18年1月2日から3日にかけての第五次輸送は、長波ふくめ駆逐艦10隻で行われたレンドバ島付近空襲をうけ涼風損傷、電の護衛下で引き返した最前線長期間活動していた二水戦各艦は消耗激しく、4隻(長波親潮陽炎涼風)は前進部隊復帰した1月10日増援部隊旗艦二水戦旗艦)は長波から黒潮変更された。翌日外南洋部隊増援部隊指揮官職務は、第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将から第十戦隊司令官木村進少将引き継がれた。12日1000二水司令官は「長波」を率いてショートランド泊地出発した14日トラック到着した長波3月7日までトラック泊地整備行った1月19日第十戦隊旗艦秋月型駆逐艦秋月は米潜水艦ノーチラス雷撃され大破第十戦隊司令官木村少将)も負傷した小柳少将第二水雷戦隊司令官)は第十戦隊司令官任命され長波から将旗撤収する。神通艦長臨時二水司令官代行したあと、後任二水司令官には伊崎俊二少将海兵42期)が任命された。長波工作艦明石世話になった整備中の1月20日五十鈴第二水雷戦隊からのぞかれ第十六戦隊転籍した。同日附で、夕雲型駆逐艦大波藤永田造船所建造艦前年12月29日竣工)が第31駆逐隊編入された。2月25日には姉妹艦清波(浦賀船渠建造艦1月25日竣工)が31駆に加わった第31駆逐隊定数4隻(長波巻波大波、清波)となった3月8日に、前年暮れ救援した南海丸護衛してトラック出港し瀬戸内海まで護衛の後舞鶴回航され、3月17日入港した舞鶴海軍工廠修理整備をおこなう。修理後4月20日舞鶴出発する横須賀回航された。4月25日第十四戦隊軽巡洋艦那珂駆逐艦3隻(長波時雨有明)は、空母雲鷹冲鷹護衛してトラックに向かう。4月30日艦隊トラック泊地到着した5月8日軍艦5隻(戦艦大和〉、空母雲鷹冲鷹〉、第五戦隊妙高羽黒〉)は駆逐艦部隊長波、潮、夕暮五月雨)に護衛されトラック出港しそれぞれ内地帰投した。5月13日長波五月雨第五戦隊および空母と共に横須賀帰投した。 横須賀到着前日連合軍アッツ島上陸開始アッツ島の戦い始まった第五戦隊および長波五月雨北方部隊第五艦隊基幹)に編入されアリューシャン列島への進出命じられる5月15日、4隻(妙高羽黒長波五月雨)は横須賀出発19日幌筵到着した北方部隊アッツ島救援のため駆逐艦神風野風アッツ島突入擱座させて補給を行う計画立てていたが、実施されなかった。5月29日アッツ島守備隊玉砕した6月1日長波補給の際に舷側損傷負い翌日幌筵出発する6月5日舞鶴到着した修理機銃増備工事をおこなう。23日舞鶴出動する7月1日幌筵島進出した

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