第十次包囲戦とは? わかりやすく解説

第十次包囲戦(1506年9月-1506年12月/1507年1月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 15:17 UTC 版)

ジブラルタル包囲戦の一覧」の記事における「第十次包囲戦(1506年9月-1506年12月/1507年1月)」の解説

第九包囲戦後、ジブラルタルはデ・グスマン家が実力支配していた。しかし1501年カスティーリャ女王イサベル1世は、ジブラルタル貴族私領のままにするにはあまりにも重大な拠点であると考え先代エンリケ4世同様にジブラルタル王冠領とする勅令発した。この時はデ・グスマン家も目立った抵抗を示さなかった。しかし1504年イサベル1世死去し国内騒乱陥ると、第三メディナ=シドニア公フアン・アルフォンソ・ペレス・デ・グスマンは軍勢集めジブラルタル回復目指し進軍した彼の期待反してジブラルタル守備隊開城しなかったため、だらだら包囲戦が長引くことになった。4か月後、セビリア大司教仲介入りこれ以上ジブラルタル住民意に反して街を攻め続けるのは不名誉であるとフアン説得したフアンはこれを受け入れ撤退結局陣営ともほとんど死傷者を出すことなく包囲戦終結した戦後ジブラルタル市には「最も忠実な」という称号与えられた。

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