第十回使節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)
また第三次日本侵攻計画(1284年〜)の推進と同時期に、クビライは前回の使節団派遣から約1年を経て再び日本に服属を迫る使節団を派遣していた。 1284年(弘安7年・至元21年)10月、クビライは正使・王積翁と補陀禅寺の長老・如智ら使節団を日本に派遣した。補陀禅寺の長老・如智が使節団に選ばれたのは、日本が仏教を厚く信仰しており、僧侶ならば日本を服属させ得ると考えられたためであった。 ところが、使節団が対馬に至った際に、日本に向かうことを恐れた水夫らが船中において王積翁を殺害してしまったため、今回の使節団も日本側と接触する前に失敗した。
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