1943年11月以降とは? わかりやすく解説

1943年(昭和18年)11月以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 03:52 UTC 版)

不知火 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「1943年昭和18年11月以降」の解説

1943年昭和18年11月15日不知火ニューギニア島西部方面部隊支援するために新編された第九艦隊に、敷設艇白鷹と共に編入した。不知火内海西部回航され、11月下旬から12月下旬にかけて訓練整備行った1944年昭和19年1月5日以降は同島ウェワクへの輸送任務就いた2月23日第九警備隊300名を同島北岸ホーランジア輸送した3月1日中部太平洋にあった不知火は、北方海域担当する第9駆逐隊薄雲白雲)に編入され第五艦隊司令長官志摩清英中将第一水雷戦隊司令官木村昌福少将)の麾下となった不知火が第9駆逐隊合流する前の3月16日、米潜トートグ雷撃白雲撃沈された。南方での輸送任務終えた不知火呉工廠3月22-28日に探信儀装備する工事行った3月31日、第9駆逐隊は第18駆逐隊改称された。第9駆逐隊司令井上良雄大佐司令となり、井上大佐は不知火司令駆逐艦指定した不知火は再び第18駆逐隊として活動するになった4月以降大湊千島方面護衛活動行った6月アメリカ軍マリアナ諸島来襲サイパンの戦い始まった戦艦山城第五艦隊海軍陸戦隊強行上陸させる作戦立案され、各艦が横須賀集結不知火6月21日入港し機銃およびレーダー整備した。しかし6月19-20日のマリアナ沖海戦日本海軍敗れた結果陸海軍間の6月22日23日協議サイパン奪回作戦断念決まり不知火6月27日輸送船団対潜哨戒任務投入された。その後重巡那智重巡足柄と共に大湊移動した7月7日薄雲が米潜水艦雷撃撃沈され、第18駆逐隊不知火の2隻となった8月2日横須賀入港した父島向かった第4804船団8月4-5日に壊滅しスカベンジャー作戦)、第18駆逐隊軽巡木曾軽巡多摩父島への緊急輸送任務従事した8月14日、呉に到着その後第五艦隊捷号作戦第二遊撃部隊として瀬戸内海小沢治三郎中将機動部隊第三艦隊と共に訓練行った10月14日台湾沖航空戦日本軍は米機動部隊壊滅的な被害与えた誤認し連合艦隊司令部第二遊撃部隊志摩艦隊)に台湾東方への進出と、残敵掃討などを命じた10月15日志摩中将重巡2隻(那智足柄)と第一水雷戦隊軽巡阿武隈》、第7駆逐隊《曙、潮》、第18駆逐隊不知火》、第21駆逐隊若葉初春初霜》)を率いて瀬戸内海出撃した。16日連合艦隊司令部戦果報告誤認気付き第二遊撃部隊台湾馬公入港するよう命じた不知火など各艦は17日奄美大島薩川湾に入港し翌日出航して20日馬公到着した志摩中将10月21日第二航空戦隊要請で第21駆逐隊の3隻を派遣した同日第二遊撃部隊は残る艦隊レイテ湾来襲した米軍迎撃するために出撃23日夕刻コロン湾到着24日午前2時に出港し西村祥治中将率い第一遊撃部隊第三部隊続いてスリガオ海峡向かった

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