ガダルカナル島を巡る戦いとは? わかりやすく解説

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ガダルカナル島を巡る戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:06 UTC 版)

長波 (駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島を巡る戦い」の解説

8月31日日本海軍長波巻波舞鶴海軍工廠建造艦8月18日竣工)により第31駆逐隊編制した初代駆逐隊司令清水利夫大佐当時、第21駆逐隊司令海軍兵学校46期)を任命する第31駆逐隊第二水雷戦隊司令官田中頼三少将海軍兵学校41期)に所属した第三戦隊司令官栗田健男中将海兵38期)が指揮する第三戦隊(金剛型戦艦金剛榛名)と第31駆逐隊巻波長波)で前進部隊待機部隊編成内海西部訓練実施した9月6日待機部隊第三戦隊〈金剛榛名〉、31駆〈巻波長波〉)は呉を出撃した。トラック諸島進出後、連合艦隊旗艦大和打ち合わせをおこなう。前進部隊本隊編入後、9月11日トラック泊地出撃前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)に合流した第31駆逐隊ガダルカナル島の戦い関わる海上作戦に加わることとなる。9月中旬日本陸軍ガ島総攻撃失敗日本海軍艦隊トラック泊地もどった10月1日第31駆逐隊姉妹艦高波浦賀船渠建造艦8月31日竣工)が編入され、3隻(長波巻波高波編制となった清水司令は司令駆逐艦を「高波」に指定した10月11日第二水雷戦隊旗艦五十鈴〉、第15駆逐隊親潮黒潮早潮〉、第24駆逐隊海風江風涼風〉、第31駆逐隊高波巻波長波〉)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃命じられ金剛榛名護衛することになり、挺身攻撃隊(指揮官栗田健男第三戦隊司令官)としてトラック泊地出撃した。10月13日から14日にかけての深夜行われた飛行場砲撃においては襲来してきた魚雷艇4隻を追い払ったヘンダーソン飛行場損害受けたが、日本軍知らなかった新規飛行場離着陸可能であり、ガ島揚陸中の輸送船団空襲加えた輸送船団苦戦知った連合艦隊は、前進部隊重巡妙高摩耶飛行場砲撃命じ、これを二水戦(五十鈴第31駆逐隊高波巻波長波〉)が護衛することになった妙高摩耶ガダルカナル島タサファロングの浜辺突入して擱座炎上した3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)を見つつ、10月15日夜、艦砲射撃敢行した。砲撃は約1時間終わり第31駆逐隊砲撃行った発射弾数253発)。戦場離脱後、10月17日夜に第二艦隊近藤信竹中将海兵35期)および第三艦隊南雲忠一中将海兵36期主力合流し補給行いつつ敵を求めて進撃続けた10月26日南太平洋海戦時は、支援部隊前進部隊第二艦隊基幹)に所属していた。10月30日トラック帰投した。 11月3日長波含め支援部隊一部部隊外南洋部隊指揮官三川軍一海軍中将第八艦隊司令長官)に編入されトラック出撃してショートランドに向かう。11月5日ショートランド泊地において外南洋部隊増援部隊指揮官職務は、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将から第二水雷戦隊司令官田中頼三少将引き継がれた。ガダルカナル島への鼠輸送従事していた第三水雷戦隊は、トラック泊地へ戻る。これ以降ガ島への駆逐艦輸送作戦田中頼三少将指揮することになった11月6日深夜、第15駆逐隊司令佐藤寅治大佐指揮下の甲増援隊(第15駆逐隊親潮早潮陽炎〉、第24駆逐隊海風江風涼風〉、第31駆逐隊巻波高波長波〉、第10駆逐隊夕雲風雲〉)はショートランド泊地出撃した。途中で米軍爆撃機小型機20数機の空襲を受け、長波高波損傷した長波戦死者3名と重傷者7名を出し長波乗組員によれば戦死4名、ほか陸軍部隊負傷者)、一番砲塔などに被害があった。甲増援隊は深夜にタサファロング沖に到着して糧食降ろし傷病兵便乗者を乗せて帰投した。 「第三次ソロモン海戦」も参照 この頃連合艦隊大規模輸送船団によるガ島輸送計画しており、外南洋部隊増援部隊第三十八師団司令官佐野忠義中将)の将兵乗せた11隻の輸送船護衛することになった11月12日1530、増援部隊指揮官田中頼三少将二水戦旗艦「早潮」)は輸送船団護衛してショートランド出撃した。だが飛行場砲撃隊と米艦隊の間で夜間水上戦闘となり(第三次ソロモン海戦第一夜戦)、輸送船団コロンバンガラ島東方反転ショートランド泊地引き返した11月13日1530、輸送船団は再びショートランド泊地出撃した。11月14日になると、輸送船団ヘンダーソン飛行場から飛来し空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) の艦載機エスピリトゥサント島から飛来し陸軍B-17重爆ガ島から来た海兵隊機による八次におよぶ反復攻撃受けた零式艦上戦闘機水上観測機護衛あたったが、米軍機大群阻止できなかった。11隻の輸送船は6隻が沈没し佐渡丸護衛2隻(天霧望月)が引き返した長波陸兵570名を救助した田中少将早潮座乗)は駆逐艦残存の4隻の輸送船サボ島沖に向かう前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)の後につけさせたが、救助者を乗せた各艦(長波巻波江風涼風)は戦闘に耐えられる状態ではなかった。その後田中少将第三次ソロモン海戦第二夜戦生起した隙を突いて輸送船をタサファロングの浜辺擱座させた。夜明け後、輸送船空襲重砲射撃艦砲射撃により粉砕され人員のみガ島揚陸した。駆逐艦だけになった増援部隊指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官)は、11月15日2200ショートランド帰投した。

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ガダルカナル島を巡る戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:51 UTC 版)

磯風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島を巡る戦い」の解説

1942年昭和17年7月14日艦隊の再編により第十戦隊旗艦長良」、第四駆逐隊第十駆逐隊第十六駆逐隊第十七駆逐隊)は第三艦隊所属することになった8月5日第十七駆逐隊外南洋部隊編入された。8月7日アメリカ軍ガダルカナル島上陸してガダルカナル島の戦いがはじまるとソロモン方面進出しガ島輸送鼠輸送)に従事する日本軍ガダルカナル島派遣する一木支隊を二梯団分割し先遣隊900名を駆逐艦「嵐」、「萩風」、「陽炎」、「谷風」、「浦風」、「浜風」がガダルカナル島輸送した8月19日キ号作戦支援のため「磯風」は重巡洋艦鳥海」(第八艦隊旗艦)に従いラバウル出港する23日に「鳥海」、「衣笠と共にショートランド泊地到着しその後鳥海」は「衣笠」、駆逐艦夕凪と共に泊地出発して磯風」は残置された。24日ショートランド泊地停泊していた第三駆逐隊、「磯風」、「江風」は、先行した駆逐艦陽炎」と合流した上でガダルカナル島アメリカ軍基地砲撃と同島周辺の米艦隊攻撃ガダルカナル島へ向かう一木支隊第二梯団護衛命じられる日の出前、「睦月」、「江風」、「弥生」、「陽炎」はガ島砲撃成功。「磯風」はアメリカ軍潜水艦交戦したため、陸上砲撃には加わっていないとされる同日第二次ソロモン海戦日本軍空母龍驤」を喪失し基地航空隊航空攻撃戦果あげられ敗北した。 「神通 (軽巡洋艦)#ガダルカナル島の戦い」も参照 8月25日午前5時40分、「睦月」、「江風」、「磯風」、「陽炎」、「弥生」はガダルカナル島へ向かう第二水雷戦隊司令官田中頼三少将)「神通指揮下の一木支隊第二梯団輸送船団合流する直後午前6時からアメリカ軍機による空襲を受け「神通」が中破田中司令官旗艦を「陽炎」に変更)、駆逐艦睦月」と特設巡洋艦金龍丸」が沈没した。これによりガ島上陸作戦中止された。「神通」と「涼風」はトラック泊地撤退。「弥生」、「第一号哨戒艇」、「第二号哨戒艇」が沈没艦生存者乗せてラバウルへ向かう。26日夕刻田中司令官は「磯風艦長船団指揮委任すると、燃料不足の「陽炎」、「海風と共にショートランド泊地先行し、「磯風」は「江風」、哨戒艇2隻、輸送船大福丸」、「ぼすとん丸」をショートランド泊地送り届けたその後第十一航空艦隊命令により同泊地にて「海風」、「磯風」は兵員400名と1300名分補給品搭載した27日、約450名の陸兵分乗した「磯風」と第二十四駆逐隊ショートランド出港し第二駆逐隊合同しガダルカナル島上陸企図するが、アメリカ軍機の襲撃により駆逐艦朝霧沈没、「白雲大破、「夕霧」、「天霧損傷という損害出してショートランド撤退した30日駆逐艦夕立」とガダルカナル島陸兵輸送任務交代し、「磯風」に乗船していた一木支隊130名は「夕立」に移乗し出港した。だが、「磯風」以下の駆逐艦群は陸海軍命令系統混乱にふりまわされ出撃できなかった。なお、「夕立」は31日陸軍兵のガダルカナル島上陸成功させ、アメリカ軍機の空襲排除して帰投している。 その後第十七駆逐隊各艦は水上機母艦日進」、「千歳」、軽巡洋艦川内」、「由良」、他駆逐隊隊と共同してガダルカナル島への強行輸送作戦鼠輸送)に従事した詳細は「ラビの戦い」を参照 ガ島を巡る戦い始まった頃、日本軍ニューギニア島南岸都市ポートモレスビー攻略目指し陸路からのポートモレスビー作戦実施中であった8月下旬には、ミルン湾ラビ海軍陸戦隊上陸した連合軍飛行場占領主目的であった8月24日28日揚陸作戦には、磯風以外の17駆3隻(浦風谷風浜風)が第18戦隊天龍龍田指揮下で参加している。その後浜風が常に同方面にあって駆逐艦嵐や第30駆逐隊と共に兵員物資輸送対地支援砲撃撤収作戦などに従事した。だが揚陸後の海軍陸戦隊連合軍反撃により大損害を受け、継戦能力喪失する第八艦隊9月5日までに部隊撤退させた。 9月10日大発動艇破壊され移動手段をなくし取り残されていた佐世保第五特別陸戦隊撤収させるため、磯風は第30駆逐隊指揮下に入ると駆逐艦弥生と共にラバウル出港する9月11日B-17B-2510機による空襲を受け16時15分弥生撃沈されてしまった。磯風回避行動取ったため弥生乗組員救助出来ず陸戦隊救援作戦中止してラバウル避退した。天龍浜風による捜索失敗9月21日磯風望月と共にラバウル出撃翌日友軍協力して弥生カッターボート発見し10名を救助したその日ノルマンビー島救出作戦失敗した25日望月率いて再出撃ノルマンビー島上陸していた弥生乗組員83名を救助する磯風乗組員回想では、磯風57収容)。同日、第17駆逐隊外南洋部隊から除かれた。磯風9月28日をもって18戦隊指揮下を離れた10月13日、第17駆逐隊機動部隊前衛前進部隊)に編入された。10下旬には南太平洋海戦参加25日夜半第七戦隊(司令官西村祥治少将旗艦鈴谷前方航行していた磯風アメリカ軍飛行艇から夜間雷撃を受けるも、被害はなかった。26日南雲機動部隊アメリカ軍機動部隊互いに攻撃隊を送り込み双方損傷艦沈没艦出たアメリカ軍機動部隊敗走開始した。ただし日本軍ヘンダーソン飛行場占領失敗した戦闘後磯風姉妹艦と共に損傷艦内地回航護衛を命ぜられ、11月2日トラック出港した佐世保入港後の同月27日、第17駆逐隊第2小隊磯風浜風)は第五戦隊司令官大森仙太郎少将妙高羽黒)の指揮下に入り横須賀へ向かう。横須賀到着後は海軍陸戦隊陸軍第六飛行師団要員軍需物資積載30日第五戦隊と共に横須賀出港してトラック泊地向かった12月4日磯風浜風前進部隊編入される連合艦隊よりラバウルへ向かうよう命令された。5日トラック泊地後すぐにラバウル向かい8日早朝着。物資揚陸トラック向かい10日到着をもって磯風浜風第五戦隊指揮下を離れた

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ガダルカナル島を巡る戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:56 UTC 版)

高波 (駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島を巡る戦い」の解説

9月19日日本海軍ソロモン諸島陸軍部隊輸送する『沖輸送』を実施することになり、横須賀鎮守府からは駆逐艦2隻(高波朝潮)が呉鎮守府司令長官指揮下に入った高波は沖輸送第一船団所属し輸送船賀茂丸(日本郵船、8,524トン)と陸軍病院船波上丸(大阪商船、4,731トン)を第46号哨戒艇とともに護衛し9月27日佐伯出撃する第46号哨戒艇途中までの護衛)。しかし目的地ラバウル目前にした10月7日第一船団は.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯0346東経15120分 / 南緯3.767度 東経151.333度 / -3.767; 151.333の地点アメリカ潜水艦スカルピン襲撃され波上丸が沈没した。この『沖輸送参加中の10月1日付で、高波第二水雷戦隊司令官田中頼三少将海軍兵学校41期:旗艦五十鈴麾下第31駆逐隊編入された。同駆逐隊司令清水利夫大佐前職、第21駆逐隊司令)。清水司令は高波31駆の司令駆逐艦指定した護衛任務終えた後はトラック諸島回航され、10月10日到着した10月11日第二水雷戦隊軽巡洋艦五十鈴二水戦旗艦〉、第15駆逐隊親潮黒潮早潮〉、第24駆逐隊海風江風涼風〉、第31駆逐隊高波巻波長波〉)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場艦砲射撃する第三戦隊(金剛型戦艦2隻〈金剛榛名〉。司令官栗田健男中将海兵38期)を護衛してトラック出撃する対すアメリカ軍10月11日-12日サボ島沖海戦重巡古鷹駆逐艦3隻(吹雪夏雲叢雲)を撃沈し勝利をおさめたものの、大小損害受けて消耗した艦隊指揮官ノーマン・スコット少将)もガ島海域から撤収した10月13日から14日にかけての深夜行われたヘンダーソン基地艦砲射撃で、第15駆逐隊・第24駆逐隊第三戦隊(金剛榛名)の直衛、第31駆逐隊警戒隊、応援派遣された第19駆逐隊ガ島ルッセル諸島哨戒隊として行動、「長波」がアメリカ軍魚雷艇撃退したヘンダーソン飛行場かなりの損害受けたが、航空機42機、B-17重爆6機、日本軍知らなかった新造滑走路戦闘機用)が健在だった14日深夜15日0017には三川中将直率隊(重巡鳥海衣笠〉、駆逐艦天霧望月〉)によるヘンダーソン飛行場砲撃実施されたが、二回の艦砲射撃受けても同基地はいまだ稼働航空機多数残していた。 一方第四水雷戦隊司令官高間少将旗艦秋月」)が護衛していた高速輸送船団吾妻山丸、南海丸九州丸、佐渡丸笹子丸、埼戸丸)は15日朝の時点でガ島物資重火器弾薬人員の約8割を揚陸していた。ところが、ヘンダーソン飛行場よりアメリカ軍機のべ129機が襲来して輸送船3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)を喪失揚陸した物資アメリカ空母ホーネット艦載機ガ島航空隊アメリカ艦隊艦砲射撃により16日時点大部分焼き払われている。輸送船団苦戦をみた山本五十六連合艦隊司令長官15日9時15分重巡洋艦2隻にガ島飛行場砲撃下令した。第三戦とともにガダルカナル島を後にした第二水雷戦隊は、飛行場砲撃隊に指定され第五戦隊重巡2隻(妙高摩耶)の護衛二水戦4隻(旗艦五十鈴〉、第31駆逐隊高波巻波長波〉)を加勢させる形で兵力分割した第五戦隊10月14日夜にガダルカナル島タサファロングの浜辺突入して撃沈された高速輸送船3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)を見つつ、10月15日夜に艦砲射撃敢行した。砲撃は約1時間終わり妙高20cm砲476発、摩耶20cm砲450発を発射第31駆逐隊253発の砲撃行った戦場離脱後、10月17日夜に第二艦隊司令長官近藤信竹中将海兵35期)および第三艦隊司令長官南雲忠一中将海兵36期主力合流し補給行いつつ敵を求めて進撃続けた10月26日南太平洋海戦における第二水雷戦隊は、前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊長官旗艦愛宕)に所属し第四戦隊愛宕高雄)、第三戦隊(金剛榛名)、第五戦隊妙高摩耶)、第二航空戦隊隼鷹と共にアメリカ軍機動部隊交戦した10月30日トラック帰投した。 11月3日第二水雷戦隊外南洋部隊増援部隊としてトラック出撃してショートランド向かい5日1130到着した同地増援部隊指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官から田中頼三第二水雷戦隊司令官変更され橋本三水司令官軽巡川内以下第三水雷戦隊各艦をひきいてトラック泊地戻った田中司令官はさっそくガ島への鼠輸送指揮することになった11月6日深夜、甲増援隊(第15駆逐隊親潮早潮陽炎〉、第24駆逐隊海風江風涼風〉、第31駆逐隊巻波高波長波〉、第10駆逐隊夕雲風雲〉)はショートランド出撃途中でB-17空襲を受け、高波軽傷者1名、長波負傷者16名を出した輸送隊深夜にタサファロング沖に到着して糧食降ろし傷病兵便乗者を乗せて帰投した。 詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 11月12日増援部隊早潮二水戦旗艦〉、親潮陽炎海風江風涼風高波巻波天霧望月)は第三十八師団佐野忠義中将)の将兵乗せた11隻の輸送船とともにショートランド出撃する。しかし第三次ソロモン海戦第一夜戦翌日昼間空襲で3隻(比叡、暁、夕立)が沈没しヘンダーソン飛行場砲撃中止されたことを受け、命令従い輸送船団は一旦ショートランド泊地戻った外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)は西村祥治第七戦隊司令官旗艦鈴谷」)ひきいる外南洋部隊支援隊(巡洋艦鈴谷摩耶天龍〉、駆逐艦夕雲巻雲風雲朝潮〉)にガ島飛行場砲撃命じ、自らも主隊(鳥海衣笠五十鈴をもって掩護あたった支援隊は13日深夜飛行場砲撃実施したが、重巡2隻(鈴谷摩耶)の砲撃では飛行場破壊できず、14日昼間のアメリカ軍機の空襲飛行場から飛来)で衣笠撃沈され、各艦(鳥海摩耶五十鈴)も損傷受けている。 一方輸送船団第二水雷戦隊)も、14日夜の揚陸予定して13日15時30ショートランド泊地出撃支援飛行場砲撃成功報告受けてガ島へ向け南下していた。衣笠沈没しつつあったころ、輸送船団ヘンダーソン飛行場から飛来し空母エンタープライズ艦載機陸軍機、海兵隊機による8度にわたる反復攻撃を受ける。11隻いた輸送船のうち6隻が沈没佐渡丸駆逐艦2隻(天霧望月)に護衛され退避した田中少将駆逐艦残存輸送船4隻をサボ島沖に向かう前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕〕)の後につけさせてガ島むかった前進部隊ウィリス・A・リー少将指揮下のアメリカ艦隊戦艦ワシントンサウスダコタ〉、駆逐艦4)との間に第三次ソロモン海戦第二夜戦生起すると、田中司令官は第15駆逐隊親潮陽炎)をして米戦艦追撃させた(親潮魚雷発射、1本命報告誤認〉、陽炎魚雷発射せず)。自身輸送船団と共に反転した日本艦隊から2隻(霧島綾波)が沈没し、米戦艦2隻(ワシントンサウスダコタ)が戦場から離脱した段階で、近藤中将輸送船団突入下令する。外南洋部隊指揮官三川中将/第八艦隊司令長官)は通常の揚陸指示したが、田中司令官第八艦隊命令無視する形で、輸送船4隻(広川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)をタサファロングの浜辺擱座させた。人員2000名は揚陸したものの、日中空襲アメリカ艦隊艦砲射撃により輸送船4隻は炎上揚陸物資弾薬重火器のほとんどを喪失した第二水雷戦隊11月15日ショートランド帰投した。

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