救出作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:19 UTC 版)
ワシントン時間5月14日午後4時(現地時間15日午前3時)頃から始まった第4回の国家安全保障会議で、フォード大統領は救出作戦の発動を決断した。主要国会議員を呼び、同意が取り付けられた。 アメリカ軍の現地司令部は、コー・タン島に第3海兵師団第9海兵連隊第2大隊(en, 指揮官:ランドール・オースチン中佐)を空軍ヘリコプター11機、「マヤグエース」に第4海兵連隊第1大隊D中隊を空軍ヘリコプター3機で送り込むヘリボーン作戦を立案していた。「マヤグエース」への直接降下は危険すぎるため、付近の海軍艦艇に降下して接舷移乗することにした。本土への支援爆撃も行われることになった。現地司令部はカンボジア守備兵を20人程度と評価していたが、実際にはベトナムとの国境紛争に備えて約300人が展開していた。守備兵力につき、迫撃砲や無反動砲を装備した150-200人などのより正確で新しい情報も、国防情報局や太平洋軍司令部では掴んでいたが、現地には届かなかった。 現地時間5月15日午前4時、11機のアメリカ空軍ヘリコプターが海兵隊員と海軍の連絡員を乗せてウタパオ空軍基地を離陸した。うち3機のHH-53輸送ヘリは、午前6時に護衛駆逐艦「ハロルド・E・ホルト」へと到着し、60名の海兵隊員をリペリング降下させた。アメリカ空軍のA-7D攻撃機が催涙ガス弾を「マヤグエース」甲板に投下した後、7時25分に「ハロルド・E・ホルト」が接舷、ガスマスクを装着した70人の兵士が乗り移った。しかし、予想に反して「マヤグエース」は無人状態であった。 午前6時15分、175名の海兵隊員を乗せた8機のヘリコプター(うち5機はCH-53輸送ヘリ、3機はHH-53輸送ヘリ)が、コー・タン島北海岸に侵入した。人質の安全を考え、事前爆撃は行われなかった。米軍ヘリは、塹壕に入ったカンボジア兵の機関銃とRPG-7による激しい抵抗で迎えられた。計画では東着陸点に6機、西着陸点に2機が降下するはずであったが、それぞれ1機分ずつの兵員しか予定の地点には降りられなかった。東の着陸点に向かった1機は海岸に50mまで接近したところでRPG 2発の直撃を受けて撃墜され、8人が即死、もう1人も間もなく死亡、3人は岸へ泳いでいったがカンボジア兵に射殺された。同じく東着陸点に向かった1機は兵員は無事に上陸させたものの損傷が甚大で離陸不能となり、西の1機も兵員を降ろした後に沖へ不時着水、1機は着陸を断念して引き返しタイ領へ不時着した。東着陸点に向かう予定の残り4機は、西着陸点からさらに南西に外れた地点へ、オースチン中佐を含む109人の兵員を降ろした。 結局、空軍兵を含めて158人のアメリカ兵が島に降り立った。3地点に分かれてしまったアメリカ軍は、合流を目指しながら、増援の到着を待つことにした。 空母「コーラル・シー」機動部隊は、3波に渡って攻撃隊を出撃させて、リアム(リーム)航空基地など本土のシアヌークビル周辺のカンボジア軍施設を空襲した。その主な狙いは、米軍ヘリコプターを妨害するおそれのあるカンボジア空軍のT-28練習機の撃破であった。空襲により、T-28部隊や航空基地、製油所などは壊滅した。 海兵隊の増援部隊250名は、第一波を輸送したヘリコプターが往復して送り込む手はずであった。しかし、撃墜されなかった機体も被弾による損傷が多く、捜索救難任務から転用された2機を足しても5機しか使えない状況だった。5機は第二波127人の海兵隊を乗せてウタパオ基地を出て、11時8分頃から島への揚陸と負傷兵の収容を行った。ただし、1機は対空砲火で損傷し、着陸を断念した。
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